2月のおたより

令和6年2月

 【 お寺の行事 】

       4月6日(土)祠堂経会
          7日(日)祠堂経会 

         ※ 詳細については次号でお知らせします。

【 おいしかった! 】

 日本列島は、昔からグラグラ揺れてきました。
 今から840年前、京都の日本海側の地域(舞鶴、宮津あたり)を震源とした大地震が起こりました。
 震源から離れた京の都でも大きな被害がありました。
 その様子を、鴨長明は『方丈記』の中で、大略次のように記録しています。        

   ・山は崩れて、川を埋め
   ・海は傾いて、陸地を浸し
   ・地面が裂けて、水涌き出で
   ・岩は割れて、谷に転がり落ち
   ・舟は波にもまれて、もみくちゃにされ
   ・道を歩く馬は、足元が定まらず
   ・お寺のお堂や塔は、あるいは崩れあるいは倒れ

 塵や灰が、あたかも煙のようにもうもうと立ち上がり、地鳴りや家の倒れる音は、雷のようで、家におれば押しつぶされるかと思って表へ飛び出すと、地面が割れ裂けているから身の置き所もなく、鳥だったら空に飛び上がれるが、羽がないからそれもできず、もし龍なら、雲に乗って天にも昇れるだろうが、それもかなわない。
 恐ろしいものの中で恐ろしいものは、地震だと痛感しました。
 余震は三ケ月ほど続きましたが、人々は、地震が起こった当座は、この世の営みのむなしいことを言い合って、煩悩にまみれた心の濁りも少しは薄まったかのようにみえましたが、月日が経ってしまうと、地震のことなど忘れて、口に出して言う者さえいなくなりました…

 今回の能登半島地震は、マグニチュ−ド7.6でした。
 被害の状況を『方丈記』の記録と比べてみると、鴨長明が体験した地震も震度7クラスの大地震だったと思われます。

 日々、刻々と伝えられる被災情報は、深刻なものばかりですが、被災した人たちの声も伝えています。
 1月4日の新聞は、

    もう何の感情も湧かん!

という被災者の絶望的な気持ちを伝えました。
 新聞のコラム氏は、

    懸命の救助活動を見守り、沈思するばかりだ!

と書きました。
 1月7日から始まった大相撲の記事では、

    力士が踏む四股は、地中の邪気をはらい、大地の揺れを鎮め、地固めする。
    そんな力も信じたくなる。
 
とも書いています。

 また、門前の総持寺は、17年前の地震でも大きな被害がありました。
 先ごろ、全面復旧したばかりのお堂は、前回以上の被害を受けました。
 修行僧はインタビューで、

    今できることを、ひとつひとつやっていくしかない!

と、言葉少なに答えました。
 被災から2週間、金沢へ移った中学生は、

    トイレから水が出て感動した!

と語りました。
 そして、断水で風呂に入れず、久しぶりに温泉施設で入浴した子どもが、

    お風呂どうでしたか!

と尋ねられて、

    おいしかった!

と答えたことばにはほっこりしました。            合掌


令和5年2月

 


令和4年2月

 【 お寺の行事 】


           4月2日(土)祠堂経会 お始まり 13:30 両日とも
              3日(日)祠堂経会 布 教  大橋友啓 師(田鶴浜 得源寺住職)
                    ※ 3日は、誕生児の初参りも勤めます。

                      皆さんのご先祖のお経があがります。  
                      お誘い合わせてお参りください。

              また、3月21日はお彼岸の中日です。
              お彼岸は、ご先祖の恵みに謝(礼をいう・わびる)する日です。
              春のお彼岸のお供えは、「ぼたもち」です。

《お知らせ》

 来る5月21日(土)、能登教務所で、真宗大谷派第26代大谷暢裕門首による帰敬式が執行されます。
 現在、受式希望者を募集しています。
帰敬式は、「おかみそり」とも言い、もともと、お坊さんになる人が、師匠となる高僧に髪を剃ってもらう得度式のことでした。
 現在は門徒の方も「おかみそり」を受けることができます。 といっても、お坊さんになるわけではありません。また、死ぬための準備でもありません。
 在家の生活のまま、仏さまの教えにもとづいた正しい生活を送ることを誓う儀式です。
 門徒の方の「おかみそり」は髪を剃ることはありません。剃刀を頭に当てて、剃るしぐさをします。
 礼金は13,000円です。 
 お問い合わせは、極應寺まで。

【 二刀流 】

 昨年の新語・流行語大賞は、「リアル二刀流/ショータイム」でした。 米国の野球リーグでプレーする大谷翔平選手の活躍ぶりから生まれたことばです。

 そもそも二刀流とは、左右両手にそれぞれ刀を持って戦う剣法のことです。二刀流といえば、なんといっても宮本武蔵。
 巌流島で、燕返し剣法の佐々木小次郎と決闘して勝ったあの剣術家です。
 宮本武蔵は二刀流で名を馳せましたが、このことで、二刀流の剣士が増えたかというと、そうでもなかったように思われます。
 現在、剣道の試合をテレビで見ていても、二刀流の選手は少しは出場しますが、勝ち上がっていくことはなかなか難しいようです。技のこともさることながら、片手の力で相手に打撃を与えねばなりませんから力が要ります。
 二刀流は難しい剣法なのです。

 この難しい二刀流を、野球の世界で成功させたのが大谷翔平選手です。
 ピッチャーと打者の両方で結果を残したことから、新語・流行語まで生まれることになりました。

 剣術、野球の世界に限らず、「二刀流」は宗教の世界にもあります。
 天台宗では、「朝題目に夕念仏」といって、朝のお参りでは題目「南無妙法蓮華経!」を唱え、夕方のお参りでは「南無阿弥陀仏!」と念仏を称えます。
 二刀流です。
 また、長野の善光寺には、住職さんが二人います。
 一人は天台宗、もう一人は浄土宗の住職さんです。
 善光寺も二刀流です。

 そして、私たち浄土真宗も二刀流です。
 第八代蓮如上人は、

     仏法をあるじとし、世間を客人とせよ

と教えました。
 仏法に重きを置いたことばですが、要するに仏法と世間の両立、仏法と世間の二刀流の生活をせよという教えです。
 生きるためだけならば、世間のことだけで成り立っていきますが、世間の生活に彩りを添え、人生に輝きを放たせるのが仏法だからです。

【 みてござる 】

 先日、新聞のコラム欄に、童謡♪見てござる♪ のことが書いてありました。
 ♪見てござる♪は、昭和20年に作られた歌です。

     村のはずれの お地蔵さんは…みてござる

     たんぼたなかの かかしどんは…みてござる

     山のからすの かんざぶろうは…みてござる

     夜はお空の お月さんは…みてござる

と歌います。

 昔は、「お天道さまが見てごさる!」ということばもありました。
 現在、このことばも、♪見てござる♪の歌詞の教訓性も薄らいでいます。
 今は、お天道さまやお地蔵さん、かかしどん、かんざぶろうやお月さんの代わりを防犯カメラがしています。
 道路や街角など至る所にカメラが設置され、有無を言わさぬ証拠を記録しています。
 しかし、防犯カメラは、「泥棒を見て縄をなう」式の対症療法的な防犯対策です。
 こればかりに頼っていたのでは、犯罪とイタチごっこになります。
 いつまで経っても犯罪はなくなりません。
 それよりも、犯罪を起こさせない心を育てることです。
 「村のはずれの お地蔵さん」は、雪の降る中も、私たちを見守ってくださっているのです。  合掌


令和3年2月

 【 お寺の行事 】

   4月3日(土)祠堂経会  お始まり 13:30 両日とも
   4日(日)祠堂経会 布教   西岸正映 師(田岸 常光寺住職)

        皆さんのご先祖のお経があがります。  
         お誘い合わせてお参りください。

【 無常 】

 お釈迦さまが、霊鷲山で説法されています。
 一輪の花を手に取って、黙って弟子たちに見せました。 
 弟子たちは、なんのことか分からずポカンとしています。
 そんな中で、迦葉尊者だけが、にっこり笑いました。
 これを見たお釈迦さまは、

    今、ワシのさとりを迦葉に伝えた!

と宣言されました。

 迦葉尊者は、お釈迦さまの持つ一輪の花を見て、さとったのです。
 禅宗では、このことを「拈華微笑」という教えで伝えています。
 また、越前の永平寺を開いた道元禅師は、『典座教訓』で、

   一茎草を拈りて、
       宝王刹を建てよ

と教えました。

 たった一茎の菜っ葉の料理でも、仏道が実践されなければならないという教えです。

 迦葉尊者の「拈華微笑」も道元禅師のことばも、ことば換えれば、「一を聞いて十を知る」ということです。

 では、迦葉尊者は、何を知ったのでしょうか。

 昔の子どもたちの手習いの始めは、

    いろはにほへと…

でした。
 「いろはにほへと…」は「いろは歌」と言われます。
 『涅槃経』に説かれる漢字16文字の教えを、平仮名47文字一字ずつ詠み込んで日本語の歌にしたものです。
 歌い出しを、漢字交じりで書くと、

    色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ…

となります。

    花は、咲けば必ず散ってしまいます。
    散らない花はありません。
    同じように、人の命も尽きない命はありません。

 世の中は無常です。
 常なるものはひとつもありません。
 しかし、人は、常なることを望み、死ぬことを先延ばしし、遠ざけて、なるべく遅くと考えます。

 とんちの一休さんのモデルになった一休宗純禅師を、あるとき、一人の老人が訪ねました。

  老人  私も80になりました。先が短いような気がしてなりません。何とか、もう少し長生きするおまじないはありませんか?

  一休  じいさん。お前さんは、いったいどのくらいまで生きたいのかね?

  老人  そりゃ、100くらいまでは!

  一休  なんじゃ。たったそれだけか?

  老人  えっ、ま、ま、待ってください。では、150までお願いします。

  一休  そうか、150でいいんじゃな。じゃ、150の大晦日になったら死なねばならんが、それでよいか?

  老人  いゃー。では300歳までお願いします。

  一休  どうも、お前さんは欲がない。どうして、「死なない」ことを願わん     のかね!

  老人  えっ、死なないおまじないなんかあるんですか?

  一休  あるとも。お釈迦さまの説法じゃ。諸行無常、是生滅法の仏法をさとる。
       そうすれば、若死にしようが長生きしようが幾つまで生きようが無常が苦にならなくなる。
       この心を「死なない心」と言うんじゃ!

と諭したという話です。

 無常を悦ぶ人は誰もいません。
 しかも、誰も無常の寂しさ悲しさから免れることはできません。
 寂しさ悲しさとともに生きねばならないのが人生です。
 だからこそ、人間には、おたがいを思いやり、支え合う優しい心がそなわっているのです。
 人は、かけがえのない心に接したとき、「有り難う!」と言います。
 「有り難う!」は、仏心の現れです。
 迦葉尊者の「拈華微笑」のこころから生まれたことばです。      合掌



令和2年2月

                                  
 【 お寺の行事 】


    2月28日(金) 親鸞聖人の月命日

    3月28日(土) 親鸞聖人の月命日

    4月 4日(土) 祠堂経会 布教 川岸敬巖 師 林敬寺住職(輪島市名舟町)
        5日(日) 祠堂経会  同上    
               期間中、帰敬式(お髪剃り)も行いますので、お問い合わせください。

    4月28日(火) 親鸞聖人の月ご命日

                   お誘い合わせてお参り下さい。

【 黄泉の国への手紙 】

 出雲の国(島根県)は、神話の古里です。
 数々の神話が残っています。

 東出雲町に「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という坂があります。
 この坂の名前は、現存する歴史書の中で最も古いと言われる『古事記』にも出ています。
 「黄泉比良坂」は、イザナギの命、イザナミの命の「国生み」神話の中で特別の意味を持つことになりました。

 この坂の途中、道の両側に石の柱が建っています。柱には、しめ縄を渡してあります。
 
 しめ縄は、結界を意味します。
 結界とは、「境」のことです。
 神社で見られる鳥居のしめ縄ならば、鳥居の手前までは人間の世界、鳥居から奥は神さまの住む世界であることを示します。
 また、正月に、家庭で飾るしめ縄は、年神さまが宿る目印となります。

 「黄泉比良坂」のしめ縄は、手前までは生者の世界、それから先は黄泉の国(あの世)であることを意味しています。
 生きている人の世界と、亡くなった人の世界を隔てる境界になっているのです。

 しめ縄をくぐって少し進むと郵便ポストがあります。
 ポストの上の看板には、「天国(黄泉の国)への手紙」と書いて、

    亡くなられた方に、伝えたい想いや感謝の気持ちを、このポストに投函ください。
    年に一度、この場で奉納してお焚き上げを行い、あなたの想いを天国へ届けます。

と説明してあります。

 このポストは、東出雲町のライオンズクラブの会員によって設置されました。
 亡き人に手紙を書くことで、一人でも心慰められる人がいてくれればとの思いから、会員たちは、投函された手紙を神職にお祓いしてもらい、ポストのそばでお焚き上げをしています。

 このポストに投函する人のことを、笑うことはできません。
 亡き人への手紙を投函することで、一人でも、心慰められる人がいるとしたら、「天国(黄泉の国)への手紙」は意味あることになります。

 お釈迦さまは亡くなるとき、弟子たちに、

   この釈迦亡きあとは、私が生まれた所、私が覚りを開いた所、私が最初に説  法した所、私が命終わった所、四ケ所を訪ねなさい!

と遺言しました。
 この遺言によって、お釈迦さまゆかりの地を回る巡礼の旅が始まりました。
 弟子たちは、仏教の四大聖地を巡って、今は亡きお釈迦さまの説法に、心の耳を傾けたのです。
 聖地は、生者と亡き人が出会う心の場でもあります。
 「黄泉比良坂」も、生者と亡き人が出会う仲立ちをしてくれる聖地と言えるでしょう。                             合掌




平成31年2月

【 お寺の行事 】

    2月28日(木) 親鸞聖人ご命日

    3月28日(木) 親鸞聖人ご命日

    4月 6日(土) 祠堂経会  説教(両日とも) 
       7日(日) 祠堂経会 西岸正映師(田岸 常光寺 住職)

         お誘い合わせてお参り下さい。

【 御崇敬 】

 極應寺を宿寺として勤修予定の「歓喜光院殿御崇敬」の期日について、1月13日の役員会で協議した結果、

    2021年/10月29日(金)30日(土)31日(日)の3日間

とすることで決まりました。

  ・「御崇敬」の由来

 天明8(1788)年、京都大火により東本願寺が焼失しました。
 翌年には、幕府から建設用材の寄進もあり、再建工事が始まりました。
 殊に、能登の羽咋・鹿島(七尾も含む)の門徒たちは、お取り持ち・お手伝いを惜しみませんでした。
 いち早く、建築用材や懇志を募り、職人・職工・人足たちとともに京へ送ることで、再建工事の原動力となりました。
 1798年、10年の歳月を経て両堂が完成しました。
 再建のお手伝いをした能登の門徒たちが国元へ帰るとき、身命を惜しまず働いた能登の門徒たちに感激された宗主・達如上人は、前宗主・乗如上人(歓喜光院殿)の絵像を下付(1801年)してくださいました。
 翌年(1802年)から「歓喜光殿御崇敬」が始まり、以来、200余年の間、羽鹿二郡の真宗大谷派寺院約200ケ寺持ち回りで、御崇敬を勤めてきました。
 途中、加賀藩の中止命令により2年間、能登半島地震で1年間の休止があった他、途切れたことはありません。
 御崇敬には、現在でも、1日当たり300人から400人の参詣があり、能登を代表する真宗仏事として続けられています。                    

  ・「御崇敬」余話

 東本願寺は、これまで4回焼けています。
 「歓喜光院殿御崇敬」は、1回目の再建後から始まりました。

 東本願寺の再建について、断片的ですが、いくつかの話が伝わっています。
 
 江戸時代後期、松浦静山という平戸藩主を勤めた武士がいました。
 隠居したあと、『甲子夜話』を書きました。
 『甲子夜話』は、当時の世相や出来事を多岐にわたって伝えています。
 その中に、東本願寺の2回目の火事のとき、人伝てに聞いた話として書いた記録があります。
 記事は、

   親鸞宗に人心の帰する、不思議なり。

と書き始めて、東本願寺が焼失したとき、大阪の商人が3人、千両箱を持って火事見舞いに来たこと。
 千両には及ばないが、多額の金銭を持って駆け付けた人が多数あったこと。
 また、火消しに駆け付けた者たち100人ばかりが、東本願寺の屋根に登って、飛んでくる火の粉を払っているうちに、焼け落ちる堂とともに崩れ落ちて死んでしまったこと。
 遅れて到着した人たちが、本堂もろとも焼け死んだ人たちのことを知って、

   あの者たちは、仏さまのご座所で死んだのだから、かならず極楽に生まれた  にちがいない!   
   自分たちも、屋根に登って一緒に死にたかった!

と残念がった人がいたという話。
 この話を聞いた松浦静山は、

   かく人心の傾くは、この宗門に限りたることにて、不思議と言うべし。

と結んでいます。 
東本願寺の焼失は、当時、幕府を動かすほどの大事件でした。
 『甲子夜話』は、他宗では考えられない真宗門徒の篤信に驚く当時の人々の様子を伝えています。
 今、東本願寺の大伽藍があるのは、ひとえに、真宗門徒の篤信によるものです。
 真宗門徒の篤い信仰を伝えてきた仏事が「歓喜光院殿御崇敬」です。

【 パワースポット 】

 旧暦2月15日は、お釈迦さまの命日です。
 お釈迦さまが亡くなるとき、弟子の阿難が、

   お釈迦さま!
   お釈迦さま亡きあと、私たちは誰に教えを受ければよいのです?

と尋ねたところ、お釈迦さまは、

   私の亡きあと、4つの場所を訪ねなさい。
   それは、私が生まれた場所、私がさとった場所、私が最初に説法した場所、そして私が命終えた場所の4ケ所だ!

と答えました。
 このことから、ルンビニ、ブダガヤ、サルナート、クシナガラ(ともにインドの地名)は仏教4大聖地となり、仏教徒が巡礼するようになりました。

 「パワースポット」ということばがあります。
 「パワースポット」とは、気持ちがリセットされたり、元気をもらえる場所のことです。
 仏教4大聖地は、仏教徒にとって、まさに「パワースポット」です。
 お釈迦さまゆかりの聖地を巡ることで、生きるパワーをもらうのです。

 たとえば、大事な人を亡くした人に、

   亡くなった人のことは、早く忘れて元気になってね!

と慰める人がいますが、これは逆です。
 亡き人を忘れたら、ますますパワーが出て来ません。
 仏教4大聖地巡礼は、今は亡きお釈迦さまからパワーをもらう旅です。
 私たちも、亡き人をしのぶことで生きるパワーをもらえるのです。       合掌



平成30年2月

【 お寺の行事 】

 
   3月28日(水)  初お講

    4月 7日(土)  祠堂経会   説教 大橋友啓 師
        8日(日)  祠堂経会        得源寺住職(田鶴浜町 )

          お誘い合わせてお参り下さい。

 【 仏法不思議 】


 昔の人は、不思議な話をしました。 

   夜、裏山の松の木に天狗が集まって騒いで、うるさくて寝られんかった!

とか、

   夕方、山仕事を終わって家に帰るとき、キツネにだまされて道に迷った!

というような話です。

 井上円了という仏教哲学者がいました。
 妖怪の研究をしたことでも知られています。

 子どもの頃、あるお寺の座敷に泊まったそうです。
 真夜中のことです。
 本堂の方から、板の間(ま)を歩く音が、「ガタン!ガタン!」と聞こえてきます。

   泥棒か?

と思ったけれど、「泥棒が、ガタガタと音を立てて歩くはずがない!」と思いながら寝ていました。
 音は、近くなるかと思えば遠くなり、いつまでも止みません。

   これは、幽霊の寺参りに違いない!

 小さいころ、母親から「檀家の人が死ぬと、亡者が寺参りにくる!」と聞いたことがあったからです。
 翌朝、半信半疑ながら、本堂へ行くと、本堂の横に小部屋があり、柱時計がかかっていました。
 時計は、「カッチン!カッチン!」と時を刻んでいます。

   なんや! 柱時計の音やったんか!

 私たちが不思議に思うことには、思い違いや見まちがいがよくあります。

   幽霊の 正体見たり 枯れ尾花

 夜道を歩いていたら、前方に「ゆらっ!」と揺れるものがあります。

   わぁっ、幽霊でた!

と思って、よく見たら、ススキの穂だったいう俳句です。

 天狗の話にしても、キツネに騙された話にしても、何らかの原因があるはずです。
 原因が分かれば、「なぁんだ、びっくりして損した!」となるのが、私たちの不思議話です。

 親鸞聖人は、不思議について、

    いつつの不思議をとくなかに、仏法不思議にしくぞなき
    仏法不思議ということは、弥陀の弘誓になづけたり

ということばを残しています。
 お経には、「五つの不思議」があると説かれてあるが、「仏法不思議」−阿弥陀仏の救いほど不思議なものはないという意味です。

 今年の元旦、宅配の荷物が届きました。
 県外に住む友人からでした。
 昔から、元旦の配達は、新聞と年賀状だけでした。
 近頃は、年賀状ばかりでなく、宅配もするようになったようです。
 そこで、

   正月から、お仕事ですか?

と尋ねると、

   ええ、僕ら、昨日、仕事納めして、今日は仕事始めです!

と、淡々と答えます。
 宅配も、年末年始、休まないのです。

 「何と、尊いことか!」と思いました。
 荷物を運んで欲しい人がいる。
 その荷物を待っている人がいる。
 そんな人がいるかぎり、僕らは、盆も正月もない。
 大晦日でも正月でも、荷物を運ぶ。
 この心を尊いと思ったのです。

 人は、「楽をしたい!楽をしたい!」と「楽」を求めてきました。
 これからも、続くでしょう。
 親鸞聖人は、その状態を、「金の鎖」にしばられたようだとたとえました。
 どこかでブレーキをかけなければ、「楽をしたい!」思いが、いつかは「苦」に変わってしまいます。

 自分だけは、良いことになりたいと思うのは、誰も同じです。
 人間の心の中は、自分本位のことばかりです。
 そのうちの、ほんの少しでも、他人の仕合わせのために振り向けることができれば、「楽」ばかり求める「苦」から解放されます。
 「楽」を求める「苦」を転じてくれる、「それが仏法の不思議な力だ!」と親鸞聖人は教えてくださっています。               合掌



平成29年2月

 【 お寺の行事 】

         3月   初お講   当番 土肥組

         4月 1日(土)祠堂経会  説教 芳野廣照師(牛ケ首 願行寺)
             2日(日)祠堂経会  ※子どもさんの初参りは、2日(日)に勤めます。

                 お参り下さい。

【 幸福家庭10ケ条 】

 歌手の「井沢八郎」さんは、♪あゝ上野駅♪で、国民的歌手となりました。
 
 団塊の世代にとって、♪あゝ上野駅♪とともに、忘れがたい歌手です。

 井沢さんは、作曲家の遠藤実さんとも親交がありました。

 遠藤実さんといえば、島倉千代子さんが歌った♪からたち日記♪や、舟木一夫さんの♪高校3年生♪、千昌夫さんの♪星影のワルツ♪など、数々の名曲を手がけました。

 遠藤さんは、井沢さんの結婚式に、来賓として招かれました。
  披露宴で、新婚夫婦に、自筆の「幸福家庭10 ケ条」を贈りました。
 遠藤さんは、この10ケ条を、左手で書いたそうです。遠藤さんは、もともと右利きです。
 なぜ左手で書いたのか尋ねられて、

   この右手は、今まで、いろんなことをしてきた不浄の手だから、お2人のお祝いに、この右手を使うのを止めようと思ったんです。
   だから、使い慣れていない左手で1文字1文字一生懸命書かせてもらいました。
   もし、この左手が慣れてきたら、そのときは足で書く。その足も慣れてきたら、今度は口で書く。そう思っているんだよ!

と語ったそうです。

 遠藤さんが、心を込めて書いた「幸福家庭10ケ条」は、

  1つ  人のことは外では言わない。口の災いはこわいですぞ。
  2つ  ふたりの親には、平等につくしなさいね。
  3つ  身近ないい人には身内だと思い、また思われるつきあいをなさい。
  4つ  夜は、出来るだけ家庭料理をたべながら、1日の出来事を話し合い、愛の充電することですね。
  5つ  いつでも玄関を出るとき、送るとき、帰るとき、迎えるとき、おたがい最高の笑顔でね。
  6つ  無理に成果を求めず、神仏を敬い、他人の力を認める心なら、人生春の季節となるでしょう。
  7つ  涙があふれる感動に、時にはふれ、豊かな心を養いなさい。
  8つ  優しさが原点にあれば、人は、ついて来てくれますよ。
  9つ  子供の育て方を10で表すなら、5は自信をつけさせ、2は自力をのばさせ、2は正しいしつけをし、1はあまえさせる。
      この5・2・2・1方式はいかがかな。
 10は  永遠の愛をつらぬくには、ふたりが人格を認め合い、よりかからず、よりそい、おもいやりと、がまんの積みかさねの上に、ほんとうの幸福家庭     がつくられるのです。

   祈念 貴家御繁盛             遠藤 実 ○印

と書いてありました。
 この10ケ条をもらった井沢さんは、家宝として大切にしたそうです。

 さて、皆さんは、10ケ条のうち、いくつ守れているでしょうか。
 「○つ!」と答えるには、なかなか難しい10ケ条です。

 しかし、がっかりすることはありません。
 実は、遠藤さんは、できないことを10ケ条並べたのです。
 なかなかできないけれども、できるように我慢して欲しい。
 頑張って欲しい。
 こんな心を、10ケ条に込めました。
 
 この10ケ条を家宝とした井沢さんは、我慢と努力の精進を続けました。
 その努力によって、聞く人の心を揺さぶる歌手になりました。

 仏教では、人を喜ばすために精進する人を「菩薩」と呼びます。

【 法ほきゝよ! 】     

 蓮如上人が廊下を通られたとき、紙切れが落ちていました。

 拾い上げた上人は、

   仏法領のものを粗末にするなぁ!

と言って押しいただかれたということです。

 蓮如上人は、この世のものはすべて仏さまのもの、仏さまからいただいたものと考えました。
 またあるときは、籠のウグイスが、”ホーホケキョ!”と鳴くのを聞いて、

   このウグイスは、「法ほきゝよ!」と鳴いている。
   鳥でさえ、「法を聞け!」と鳴いているのに、まして人間であるお前たちは親鸞聖人の弟子だ。
   仏法聴聞しないと面目ないぞ!

と、側にいる弟子たちを戒めました。

 蓮如上人は、ウグイスの鳴き声までも、仏さまの声と聞きました。

 ウグイスは、早い年ならば、2月の中頃には鳴き出します。
 ウグイスの別名は、「春告げ鳥」です。

    春が来たぞ!

 誰も、そう聞きますが、蓮如上人のような聞き方もあるのです。    合掌




平成28年2月

【 お寺の行事 】

     3月  日(日) お講 福島(そうざ)組

     4月 1日(金) 祠堂経会        布教使 矢口泰順師(末吉 光念寺住職)
         2日(土) 祠堂経会        
         3日(日) 祠堂経会        3日は、誕生児の初参りも勤めます。

            皆さん、お揃いでお参り下さい。
【 慢心 】
              
 自分を過信して、おごりたかぶる心のことを「慢心」と言います。

 『グリム童話』に、死神の話があります。

 1人の大男が、道を歩いていると、突然横道から小さな男(死神)が飛び出してきました。

   死神  止まれ!
   大男  お前は、誰だ?
   死神  オレは、死神だ。オレに歯向かえる者は誰もいない。お前だって、オレの命令には逆らえんぞ!
   大男  生意気なこと言うな、このチビめ!
   
 大男は、死神をゲンコツで殴りつけました。
 小男の死神は、地面にたたきつけられ、伸びてしまいました。
 そして、大男は、どこかへ行ってしまいました。
 地面にたたきつけられた死神は、起き上がることもできません。
 
   死神  オレは、こんな所で伸びているわけにはいかん。仕事をしなければならん。
        オレが仕事をしなければ、死ぬ人がいなくなって、世の中、人だらけになって、人であふれてしまう!

と思っていたところへ、1人の若者が通りかかりました。
 地面に伸びている小男を見つけて、可哀想に思い、起こしてやり、持っていた水筒の水を飲ませて、元気になるまで見てやりました。
 少し元気になった死神は、

   死神  お前は、オレを助けてくれたが、オレは誰だか知っているか?
   若者  知らない!
   死神  オレは死神だ。オレは誰だって、手を抜かない。お前だって、オレを助けてくれたからといって、別扱いするわけにはいかん。
        しかし、オレは、お前が助けてくれたことを恩に着るから、そのお礼に、お前とひとつ約束する。
        お前だけは、突然、迎えに行くことはしない。オレがお前を迎えに行くときは、その前に、必ず使いの者を何人かよこす。
        そうすれば、お前も心の準備ができるだろう! 
   若者  よし、分かった。お前がいつ迎えに来るか分かっておれば、それまでは安心して生きておれる!

 死神と分かれた若者は、そんな約束もいつの間にか忘れてしまい、暢気に暮らしていました。
 しかし、若い時は長く続かず、やがて年老いていきました。
 いろいろと病気が起こって、痛み、苦しみで、夜も眠られないこともあります。
 そんなとき、若い時、死神とした約束を思い出しました。

   男   まだ、死ぬことはない。死神が迎えに来るとき、先に使いの者を何人かよこすと約束した。
        いまだ、使いの者は誰も来ていない。この病気さえ乗りこえれば、また楽しく暮らせる!

と思いつつ、少し体が楽になると、死神との約束など忘れてしまいました。

 ある日突然、誰かが、肩を叩きました。

   男   誰だ!

 振り返ると、死神が立っています。

   死神  迎えに来たぞ!
   男    お前、約束が違うじゃないか。お前が来るときは、その前に使いの者をよこして事前に知らせると言ったではないか。
        いまだ誰も使いの者は来てないぞ!
   死神  だまれ。使いの者なら、何人もお前の所へやったではないか。熱が来なかったか。
        熱がお前に襲いかかって、お前の体をガタガタふるわせ、お前を投げ倒したではないか。めまいが来なかったか。
        めまいが、お前の頭をクラクラさせたではないか。痛みが来なかったか。耳鳴りや歯の痛み。
        目の前が、真っ暗になったことはなかったか?

 ここまで言われた男は、口答えできず、あきらめて、死神の後をトボトボついて行きました。

 私たちは、誰でも「まだ、大丈夫!」と思っています。
 この心を、「慢心」と言うのです。

【 Only one! 】

 ある食堂に入ったときのことです。

 畳の席に座るお客さんの靴の脱ぎ方が、まちまちです。
 そのまま脱いで上がる人もいれば、外向きにキチンと揃えて脱ぐ人もいます。
 乱雑といえば乱雑、靴の脱ぎ方ぐらいそれぞれでいいと言えば、そういうことになります。
 個性的な靴の脱ぎ方です。
 しかし、これが、皆、キチンとそろえて、外に向けて脱がれていたとしたら、別の国へ行ったような錯覚を覚えたかも知れません。

 かつて、蓮如上人の500回御遠忌が、「バラバラでいっしょ!」のテーマで 勤まりました。
 「バラバラでいっしょ!」は、人間社会のあるべき理想の姿です。

 今、世間を騒がせている人気グループSMAPに、♪世界に一つだけの花♪という歌があります。
 
    ♪ …小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから No.1にならなくてもいい もともと特別な Only one!

 今、バラバラな「Only one」を認める社会でなくなってきていることを思いつつ、バラバラに脱がれた靴をながめながら、うどんをすすりました。
                                                                            合掌
 


平成27年2月

【 お寺の行事 】

    3月 未定  初お講  当番 道辻組

   4月3日(金)〜5日(日)祠堂経会

     ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 浄土 】

 親鸞聖人750回御遠忌(2011年勤修)に向けて始まった東本願寺の修復工事は、御遠忌を過ぎても続けられ、ようやく大詰めを迎えました。
 全国のご門徒から寄せられた浄財は、浄土を表す形となって、その姿を再現しつつあります。
 このほど、阿弥陀堂の内陣の天井に金箔をほどこす作業の様子が公開されました。
  
 お寺とは何か?
 
 一言で云えば、「浄土を形にしたもの」です。
 お寺は、お釈迦さまが説かれた浄土の姿を、この世に再現した形です。
 お寺は、浄土の世界が、この世に現れてくださった姿です。
 浄土が、この世に出張してくださった姿が、お寺だとも言えます。

 皆さんのお宅の仏壇も、同じことです。
 仏壇も、浄土が、皆さんのお宅に出張してくださった姿です。
 お宅に仏壇があることは、浄土を迎えたということです。
 お宅が、浄土になったということでもあります。

 浄土に住む家族は、「浄土の家族」とならねばなりません。
 浄土には、地獄・餓鬼・畜生などありません。
 家の中を、地獄・餓鬼・畜生の世界にしてしまったら、せっかく来て下さった浄土を汚してしまうことになります。
 
 家に仏壇があることは、「敬う心を持ちなさい!」「拝む心を持ちなさい!」という仏さまの教えが、形となって来て下さったということでもあります。

 「敬う」「拝む」といっても、どこか遠いところを「拝む」のではありません。
 浄土が、仏壇という形になって現れてくださってあると同じように、仏さまも、形をもって、この世に現れてくださってあります。

 『法華経』というお経に、観音菩薩は、

    …種々の形をもって、もろもろの国土に遊び、衆生を救うなり。…
とあります。

 観音菩薩という仏さまは、その人にとって必要な人や物に姿を変えて、この世に現れ、その人を救うと説かれています。

 この教えによれば、家族や近所の人たち、地域の人たち、今ともにある社会の人たちは、観音菩薩が、私を助けるために、人間の形に身をやつして現れてくださった姿であることになります。
 その姿を「敬い」「拝む」のです。

 昔、和泉式部という人が、早世した我が娘のことを、

    夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えてかえる 子は知識なり

と詠みました。

 和泉式部は、我が娘は浄土からこの世に現れて、この母に、世の無常を教えて、浄土へ還っていった仏さまだったと拝んだのです。

【 幽霊 】

 奥野修司さんというジャーナリストが、東日本大震災の被災地で、「幽霊」を取材しています。
 震災で家族を亡くした人で、家族の霊を見たという人がかなりいるという情報が寄せられたからです。

 取材中、亡くなった夫の霊を見たという女性と出会いました。
 女性は、

    最愛の夫を亡くし、やけになり、私も死にたいと思う毎日で、車で自損事故を起こしたこともありました。
    ある日、夫の霊を見ました。
    そのとき、お父さんに見守られているような気がして、お父さんのことを胸に抱いて、一緒に生きようと思い直しました。

と語りました。

 奥野さんは、
 
    亡くなった家族への強い思いが、霊を見させるのかもしれない。
    霊を見ることは、非科学的なこととされるが、見た人がいる事実を認めてあげたい。
    家族の霊を見ることで、心が癒やされ、家族愛が深まり、死生観が深まっていくのではなかろうか。

と考えています。

 第八代の蓮如上人も、「見玉」という娘を亡くしたとき、荼毘に付した明け方の夢に、「見玉」の白骨の中から青蓮華が咲き出し、その花の中から一寸ほどの仏さまが現れ、しばらくして蝶になって飛んでいくのを見ました。
 この夢を見た蓮如上人は、「見玉」は、まちがいなく極楽浄土に還ったのだと確信したと書いています。

 蓮如上人の人間味ある一面をうかがい知るエピソードです。
                                             合掌





平成26年2月
【 お寺の行事 】

      3月       初お講  当番 谷口組

      4月4日(金)〜6日(日)の3日間
               祠堂経会 布教使 大橋友啓師(田鶴浜得源寺住職)

               ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 男どき女どき 】

 今から約600年前、世阿弥が「猿楽」(現在の「能」)という芸能を大成させ、『風姿花伝』を書きました。
 『風姿花伝』は、「能」を演じる人の心構えや修養法などを記した秘伝書です。
 その中に、

      …時の間にも、男時女時(おどきめどき)とてあるべし。…
 
とあります。
 「能」を演じている短い時間のうちにも、男時という調子よくうまく演じられるときもあるし、そうでないうまくいかない女時というときもあるという意味です。
 このことは、人生にも当てはまります。
 人生には、調子よくうまく順調にいくときもあるし、反対にいくら頑張っても思うようにならないときもあります。
 思うようにならないときが、「女時」です。
 世阿弥は、「女時」のときは、

      …少な少なと能をすれば…

と、「女時」のときは無理をせず頑張らずに、ぼつぼつ演ればよいと書いています。

 作家の向田邦子さんに『男どき女どき』という作品があり、その中に「ゆでたまご」という短いエッセーが載っています。

       「ゆでたまご」

      小学校4年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。Iは足だけでなく片目も不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。
      ゆとりのない暮らし向きとみえて、衿があかでピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。
      性格もひねくれていて、かわいそうだと思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。
      たしか秋の遠足だったと思います。
      リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばに、Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。
      かっぽう着の下から大きな風呂敷包みを出すと、
       「これみんなで」
      と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。
      古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。
      ポカポカとあたたかい持ち重りのする風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは言えませんでした。
      歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました。
     私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆでたまごのぬく味と、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。……
     私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。

                                                                                                       『男どき女どき』より抜粋


 このエッセーの母娘は、まさに「女時」を生きています。
 小学生の向田邦子さんは、足の悪い女の子を冷たい目で見ていました。
 遠足をきっかけに、女の子とその母親から、「男時」にある者には分からない大切なことを教えられました。
 それは、母親の「愛」、親子の「愛のぬくもり」でした。

 歌手の藤野とし恵さんが歌う「男どき女どき」の2題目に、

     ♪登って気がつく 事もある
      降りて見つかる 事もある 向田邦子さん
      この世って 浮世って
      ひと幕の お芝居ね…… ♪

という歌詞があります。
♪登って気がつく事もある♪ のはもちろんですが、♪降りて見つかる事もある♪ のです。
 私たちは、ともすれば、♪降りて見つかる事♪ を見過ごし見逃しているのではないでしょうか。

 さて、皆さんは、今、「男時」でしょうか、「女時」でしょうか。
 「男時」の人もあるだろうし、「女時」の人もいるでしょう。
 年を取ると、頭も体も若いときのように働かなくなりますから、「女時」を感じることが多くなります。
 「女時」から、しばしば愚痴が出てきます。
 体の衰えや物忘れなど、言ってもどうにもならないことを嘆くようになります。

 世阿弥は、それではいけないと言います。
 「女時」は、「少な少なと」すればいいと言います。
 「少な少なと」とは、気張らず焦らずということです。
 気張らず焦らずすれば、「男時」には分からなかった大事なことに気づくのです。

 年を取るということは、人生を愚痴で終わるのか、感謝で終わるのか、その選択の最終局面まで来たということです。
 年を取ってから気づかねばならないことは、「感謝」です。
 愚痴ばかり言っているひまはないのです。            合掌




平成25年2月

【 お寺の行事 】

     3月 日 お講 当番 谷川組

     3月29日(金) 祠堂経会   説教
        30日(土) 祠堂経会     芳野廣照師
        31日(日) 祠堂経会         願行寺住職(牛ケ首)

      ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 昭和の明かり 】

 元横綱の大鵬さんが亡くなりました。
 新聞やテレビは、「また1つ昭和の明かりが消えました!」と報じました。
 「昭和の明かり」とは、昭和という時代を生きた人という意味でしょう。
 昭和は、63年までありましたから、この期間に生きた人が昭和を生きた人です。
 しかし、「昭和の明かり」となると、昭和という時代に輝いた人、昭和という時代に足跡を残した人、昭和という時代を象徴する人という意味も含んでいるようですから、昭和を生きた人すべてが当てはまるわけでもなさそうです。
 昭和という時代は、一言で言えば「激動の時代」でした。
 戦争があり、戦後の復興、高度経済成長、そして、その経済も破綻するというめまぐるしい変化の時代でした。
 そんな中で、社会の仕組み、人々の暮らしぶり、考え方も変わり、日本人の生活は物心両面において大きく変化しました。
 そういうことを体験して知っている人こそ、「昭和の明かり」、昭和を生きた人、昭和を生き抜いた人と言えるのです。
 そうすると、戦前、戦中、戦後を生きた人が、昭和を知る人になります。
 戦前は、「貧」と「忍」の時代でした。
 それは、戦後も長く続きました。
 大鵬さんは、樺太で生まれ、戦後、命からがら北海道に引き上げました。
 北海道での生活は、極貧との戦いでした。
 大鵬さんは、「相撲取りになって初めてラーメンというものを食べた!」と述懐したそうですから、子ども時代の生活は、このことばをもって推して知るべしです。
 相撲界に入って出世した大鵬さんは、現役時代から、献血運搬車を寄付する活動を行っていたことはよく知られています。
 寄付は、全部で70台を超えました。
 また、巡業先では、食べ物などを持って施設の慰問にもでかけました。
 なぜ、こんなことができたのか。
 「極貧」と「忍」を知る大鵬さんだからこそ、出来たことなのでしょう。
 私たちは、大鵬さんの生き方から、「極貧」に耐えた人の心に「おもいやり」が芽生えることを教えられます。
 それは、衆生の苦しみを知り尽くした阿弥陀仏のお心にお慈悲が芽生えたことと同じです。
 昭和の心が「おもいやり」とするならば、平成という時代はどんな心をはぐくむのでしょうか。 

♪生きているということは♪

 上条恒彦さんが歌う ♪生きているということは♪ が、注目されています。
 この歌は、昨年10月NHKテレビが放送し、先日も放送されました。

  ♪生きているということは 
   誰かに借りをつくること
   生きていくということは
   その借りを返してゆくこと
   誰かに借りたら 誰かに返そう
   誰かにそうして貰ったように 
   誰かにそうしてあげよう…♪
   
 歌詞だけ見ていると説教くさく感じる内容ですが、上条さんが野太い声で歌うと、聞く人の胸にズッシリ響くものがあります。
 作詞は、永六輔さんです。
 永六輔さんは、お寺に生まれました。
 そして、マルチタレントと言われています。
 作詞、著述、テレビ・ラジオ出演、映画にも出演するなど幅広い分野で活躍しています。多様な活動の中で、永さんの目は、つねに人間どう生きるかという点に向けられています。
 あの世界的な大ヒット曲 ♪上を向いて歩こう♪ は、人間のどうしようもない孤独を歌っています。
 また、『大往生』『親と子』『嫁と姑』などの著作もあります。
 これらの作品が生まれたのは、永さんがお寺に生まれたここと無関係ではないように思われます。
 仏教には、難解なことばが多くあります。
 難解なことばを使わず、平易なことばで、誰でも分かるような方法で、仏さまの教えを伝えようとしているのが永さんの作品です。
 ♪生きているということは♪ も、仏さまの教えを歌にしたものです。
 それは、人間ならば誰でも持たねばならない「報謝」の心です。
 親鸞聖人は「報謝」について、「恩徳讃」と言われているご和讃をすでに作っておられます。
 ご和讃は、もともと節を付けて称えられてきましたが、今から95年ほど前に「恩徳讃」は作曲され、今でも仏事などで歌われています。
 ♪生きているということは♪ は、さしあたり現代版「恩徳讃」ということになるでしょうか。

【2つの東京家族】
                                 
 山田洋次監督の「東京家族」が上映されています。
 この映画は、60年前の小津安二郎監督の「東京家族」を現代に置き換えたらこうなるだろうということで撮影されました。
 筋書きは前作と同じで、田舎に住む両親が、東京へ出た子どもたちを訪ねるという話です。
 違いは、最後のシーンにあります。
 母が死に、田舎で葬式を終えた子たちが東京へ帰ります。
 60年前の「東京家族」は、田舎に残っていた末娘が、一人残った父を見ることになります。
 今回の映画は、そういう娘もおらず、隣の親戚が見るという設定になっています。
 お父さんは、まったくひとりぼっちになってしまいます。
 60年前と現代の家族の現実の違いでしょう。
 家族がばらばらになる傾向は、今も60年前も変わりありません。
 戦後日本のたどってきた道です。
 しかし、どんな時代を生きようと、心が人を救うことを訴えている点で2作品は同じです。 合掌



平成24年2月


【 お寺の行事 】

    2月は、お寺の行事はありません。

    3月未定 初お講 当番 石川組 

    3月30日(金)祠堂経会
       31日(土)祠堂経会・鐘楼修復落慶法要
    4月 1日(日)祠堂経会・初参会

       お誘い合わせてお参りください。

【 幸福度 】
             
 金子みすゞは、山口県の海沿いの漁村に生まれ、大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人です。
 金子みすゞは、「星とたんぽぽ」という詩を残しています。

         星とたんぽぽ

      青いお空のそこふかく、
      海の小石のそのように
      夜がくるまでしずんでる、
      昼のお星はめにみえぬ。
       見えぬけれどもあるんだよ、
       見えぬものでもあるんだよ。

      ちってすがれたたんぽぽの、
      かわらのすきに、だァまって、
      春のくるまでかくれてる、
      つよいその根はめにみえぬ。
       見えぬけれどもあるんだよ、
       見えぬものでもあるんだよ。

 先頃、法政大学の坂本光司先生が、「全国都道府県別幸福度ランキング」を発表しました。
 坂本先生は、「生活・家族」「労働・企業」「安全・安心」「医療・健康」の4つの指標にもとづいて、全国47都道府県の幸福度を評価してランキングを作りました。
 その結果、福井県が1位。2位は富山県。3位が石川県。北陸3県が、3位まで独占しました。
 そして、10位までに入ったのは、大都市から離れた地方の県ばかりでした。
 これに比べて、大都市の愛知県は21位。東京都は38位。福岡県は39位。京都府42位。大阪府は、なんと最下位の47位でした。
 「年収」を比較すれば、順位は、次のようになります。
 東京都は平均年収が約600万円で1位。愛知県は2位。大阪府4位。京都府7位。福井県の平均年収が約430万円で26位。富山県29位、石川県が30位となります。
 北陸3県の平均年収は、1位東京に比べるとずっと低く、170万円以上もの差があります。
 にもかかわらず、坂本先生は、北陸地方の幸福度は高いと分析します。
 その理由に、北陸には「ものづくりなどの第二次産業が安定してある」ということ、「失業率が低い」ということ、「保育所の定員にも余裕があり、子育ての環境がよい」という点をあげています。
 北陸は、暮らすという点では、他の都道府県に比べて住みやすいというのです。
反対に、幸福度の低い都道府県は、平均寿命が短い、犯罪が多い、保育所が少ないなど、生活する環境が不十分であるため、幸福度を下げているのだそうです。
 お金があることと、都会の便利な生活は、住む人の幸福度には何の関係もないようです。

 北陸地方は、昔から「真宗王国」と言われる念仏信仰の篤い地域でした。
 信仰心は、「慈悲の心」を育てます。「慈悲の心」とは、思いやりの心です。
 思いやりの心は、思いやりのある社会を作ります。
 思いやりのある社会とは、横のつながりを大切にする社会です。
 「慈悲」「思いやり」そのものは、形のあるものではありません。空気と一緒で、目には見えません。
 目に見えない慈悲や思いやりがはたらくことで、幸福度の高い社会のしくみや状況が作られます。 幸福度の高い社会は、慈悲や思いやりがはたらいている社会です。
 慈悲や思いやりがはたらいているから、生活しやすくなるのです。

 幸福度ランキングは、宗教心のランキングでもあります。

 現代は、目に見えるものしか信用しない時代になってしまいました。
   慈悲は目に見えません。
   絆も目に見えません。
   命も目に見えません。
   心も目に見えません。
   そして、神仏も目に見えません。
 大事なものは、目に見えないのです。
 戦後、日本人は、目に見えない大切なものを捨ててきました。私たちは、大きな落とし物をしてきました。
今、日本人は、これまで幸福の指標としてきたお金や財産の価値が根底から揺らいでいる状況に置かれています。
 私たちは、揺らぐようなものを幸福の指標としてきたのです。
 揺らぐことのない幸福の指標とは何か。
 考え方の大きな転換を迫られています。

【 とっさの判断 】

 昨年3月の東日本大震災で、全校児童108人のうち68人が津波に流されて死亡し、6人が行方不明のままになっている大川小学校が、震災から10ケ月たって、避難の仕方に間違いがあったとして保護者に謝罪したことがニュースになりました。
 避難は、学校近くの大橋近くにある小高い場所に向かって始まりました。その途中、堤防を越えた大津波にのみ込まれました。
 避難の列の後方にいて、津波に気づいた数人の子どもと先生がいました。その子どもたちと先生は、とっさの判断で裏山によじ登って難を逃れました。
 結果から言えば、学校の裏山へ避難していれば、助かったのです。
 なぜ、2次避難先が、学校の裏山にならなかったのでしょうか。
 地震直後、校庭に子どもたちを避難させ、津波に備えた2次避難先をどこにするか、先生たちは話し合いをしました。
 1人の先生が、「裏山へ逃げよう!」と言ったとき、他の人が「地震で木が倒れるから危険だ!」と言って取り合ってもらえなかったというのです。
 地震で木が倒れるのは、地盤が崩れたとき以外考えられません。地震が来れば、木は揺れます。揺れますが、木は簡単には倒れません。木の根は、倒れないために地中に根を広げているからです。
 「地震の時は、竹藪に逃げろ!」という言い伝えがあります。竹藪は、竹の根が張っていて、倒れてくる心配がなく安全だからです。
 こんな常識を知らなかったのでしょうか。
 自然を知らない大人が増えているように思います。
 自然は、人間に災いをもたらすこともありますが、人間をはぐくみ助けてくれるのも自然です。
 森の中で遊ぶとか、川遊びをするとか、自然の中で遊んだ経験がないと、とっさの判断を狂わせてしまうことがあります。     合掌



平成23年2月

【 お寺の行事 】

      3月 未定 お講 当番 土肥組

      3月31日(金)〜4月2日(日)の3日間
           祠堂経会
              説教 大橋友啓師(田鶴浜 得源寺住職)
              ※ 期間中、誕生児初参り・帰敬式も行います。

      4月 未定 お講 当番 福島組

         お誘い合わせてお参り下さい。

【 トイレの神様 】

 植村花菜さんが歌う、♪トイレの神様♪が、話題になっています。
 ♪トイレの神様♪は、年末のNHK紅白歌合戦でも歌われ、テレビドラマにもなりました。
 歌は、植村花菜さんが子供の頃、おばあちゃんから、”トイレには、それはそれはキレイな神様がいるんやで! だから毎日キレイにしたら、女神様みたいに、べっぴんさんになれるんやで!”と教えられ、毎日トイレ掃除をした思い出を歌っています。
 母親から、”トイレをきれいに掃除すれば、良い子が生まれる!”と教えられた女性もいますから、♪トイレの神様♪を、何らかの感慨を持って聞かれた女性が多かったのではないでしょうか。
 鍵山秀三郎(78歳)さんは、「日本を美しくする会」というNPO法人を立ち上げました。
 掃除をする会です。
 鍵山さんは、会社経営のかたわら、道路や公園、公共施設の清掃、とくにトイレ磨きにこだわった清掃活動の普及に取り組んでいます。
 「日本を美しくする会」の清掃活動は、男女の区別をしません。男性も、トイレ掃除を、しかも裸足でするのがきまりです。
 活動は、全国に広がり、今では、海外にも、その活動の輪を広げています。
 なぜ、トイレ掃除にこだわるのでしょうか?
 鍵山さんは、「心を取りだして磨くわけにはいかないので、目の前に見えるものを磨く。とくに、人のいやがるトイレをきれいにすると、心も美しくなる。人は、いつも見ているものに心も似てきます。」と述べています。
 親鸞聖人は、人間の心は「蛇蠍(ヘビやさそり)のごとくなり」とか、「貪瞋邪偽(むさぼり、いかり、よこしま、うそ)おおし」と説いています。
 人間の心は、決して美しいものではありません。
 人間の心の中には、へびやさそりが棲み、ヘビやさそりが貪瞋邪偽という毒を吐いて、人に迷惑をかけています。
  「日本を美しくする会」の鍵山さんにとって、トイレは汚れた心の象徴なのです。トイレを磨くことは、我が汚れた心を磨くことであり、トイレをきれいに磨いて、日頃の無礼な行為の罪滅ぼしをして、自分を清めるという思いもあります。
 昔の人は、想像力が豊かでした。
 植村花菜さんのおばあちゃんは、「トイレには女神様がいる。」と言いました。
 かつて、神様はトイレばかりでなく、かまどにもいました。井戸にも神様がいました。いろりにも、流しにもいました。色々なところに神様がいました。
 そして、そういうふうに、子供にも教えて、ものを大切にする心を育てました。
 その豊かな想像力が、深い信仰に目覚めた人も育てました。
 仏様とは、仏像の形をした人がどこかにいるという話ではありません。仏像を拝むことは、清らかな心の世界を拝むことだといういわれを、昔の人は簡単に理解できたのです。
 ♪トイレの神様♪は、想像力を失った現代の人たちに、形を超えたところにある形のない大事なものに、形をとおして目覚めていくことの大切さを訴えています。

【 ディグラム・ナムジャ精神 】

 年明けの明るい話題は、なんといっても、「タイガーマスク」です。
 「タイガーマスク」と名乗る匿名の人たちが、各地の児童養護施設にランドセルなどを贈る寄付行為が相次ぎました。このことが、マスコミに取り上げられたことで、「タイガーマスク」ばかりでなく、「ドラえもん」や「アンパンマン」を名乗る人たちまで現れ、善意の輪が広がっています。
 「タイガーマスク現象」は、一過性のブームで終わるだろうとの見方もあります。
 人間の善意は、長続きしないからです。
 たとえ一過性のブームで終わったとしても、「タイガーマスク現象」は、「善意」という美徳を忘れた日本人に、十分なインパクトを与えました。
 「善意」を、国民の合い言葉にしている国があります。
 ブータン王国です。
 ブータン王国は、ヒマラヤ山脈の東側にある、人口57万人、国の面積が九州の0.9倍という小さな国です。仏教が国教で、憲法や国民生活は、仏教の教えがベースになっています。
 国民は、「ディグラム・ナムジャ精神」にもとづいて行動します。この精神は、家庭や職場、国家や社会の中で、「お互いに助け合う」ことを、セーフティネットと する考え方です。
 たとえば、雨の日に歩いて登校する子供を見つけたら、どこの子でも車に乗せてやります。よその子が遊びに来たら、我が子同様に食事や寝泊まりをさせます。親は、我が子がどこに行っても心配しません。国民全部が家族なのです。
 また、ブータンには、花屋さんがありません。咲いている花を切り取ることは、「殺生」することだからです。仏さまには、造花を飾ります。植物も家族なのです。
 ブータン王国の大臣は、「幸福は、人間関係が拡大するときに感じます。人間関係が上手くいかないときは、悲しみや寂しさを感じます」と述べています。
 国民全部が家族のブータン人は、97%の人が、「幸福だ!」と答えています。
 日本人に、幸福の条件とは何かを尋ねれば、多くの人は、「お金」と「健康」と答えるでしょう。ブータン人は、同じ質問に、「人」と「平和」と答えます。
 親鸞聖人も、「世の中安穏なれ。仏法広まれ。」と説きました。
 お金は、使えば無くなるし、使わずに持っていたのでは、価値がありません。また、健康な人も、いつかは健康を失う時がきます。したがって、お金と健康は絶対的な幸福を保証するものではありません。
 お金や健康を超えた、仏教思想にもとづいた「ディグラム・ナムジャ精神」に幸せを感じているブータン人を見習いたいものです。   合掌


平成22年2月

【 お寺の行事 】

     3月 未定  初お講 当番 福島組

     4月2日(金)祠堂経会 3日間とも、1時半お始まりです。
        3日(土)祠堂経会 説教・谷内宣雄師(酒見 柳泉寺住職)
        4日(日)祠堂経会 4日は、誕生児初参り式も執行します。

             お誘い合わせてお参り下さい

  [帰敬式]受式を希望される方を募集しています。

     5月22日(土)、能登教務所で、ご門主親修の「帰敬式」(おかみそり)が執行されます。
    能登教務所では、「帰敬式」受式希望者を募集しています。    ご希望の方は、極應寺までお問い合わせください。
     申込み〆切は、3月末日です。 

     また、「帰敬式」の翌日に行われる「お待ち受け大会」参加希望者も募集しています。
     詳細は、パンフレットをご覧ください。

【 マザーテレサ生誕100年 】

 今年は、マザーテレサ生誕100年を迎えます。
 マザーテレサは、1910年(明治43)、マケドニアという国で生まれました。亡くなったのが、1997年(平成9・87歳)ですから、私たちと同じ時代を生きた人でした。18歳で修道女(キリスト教の尼僧)になり、生涯をインドで過ごしました。
 インドでのマザーテレサは、「神の愛の宣教者会」を設立し、仲間の修道女たちと「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、誰からも世話されない人たち」を助ける活動を始めました。また、「死を待つ人の家」を開設し、路上で死にかけている人を収容して、看取りをしました。
 この活動が世界に知られるようになり、世界中から、ボランティアが集まるようになりました。そして、自国に帰ったボランティアが、自分たちの国で「神の愛の宣教者会」を設立したことで、マザーテレサの活動は、世界に広まりました。
 マザーテレサは、2回、日本に来ています。これがきっかけとなって、日本でも「神の愛の宣教者会」が発足しました。日本では、主に東京や名古屋の都市圏で、高齢者やホームレスの人たちに食事の配給や朝食をサービスする活動が続いています。
 マザーテレサは、世界の国々のかずかずの平和賞を受賞しました。そして、69歳のとき、ノーベル平和賞を受賞しました。約2,000万円の賞金は、すべて、インドのコルカタ(カルカッタ)の貧しい人たちのために使われました。
 自分の利益を求めず、ひたすら弱者に奉仕する生き方を貫き、弱者とともに生きた生涯でした。
 なぜ、このような生き方ができたのでしょうか。
 あるとき、マザーテレサが、日本から来ていたボランティアに言いました。

    ”あなたたちが毎日接している貧しい人たちは、わたしたちの
     兄弟姉妹であり、イエス・キリストご自身なのですよ!その
     ことを忘れないようにしなさい!”

 このことばは、仏教にも通じます。
 中国の曇鸞大師は、「…四海のうち皆兄弟とするなり。眷属無量なり…」と説き、親鸞聖人は、「…一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。…」と教えました。仏教には、生きとし生けるものは、みな父母兄弟であり、親族であるという考え方があります。
 また、「一切衆生悉有仏性」−すべての人間は、ことごとく仏さまになる種を宿しているという思想もあります。一人一人の衆生の中に、仏さまが内在しているという考え方です。このことは、「…貧しい人たちは、…イエス・キリストご自身」であるというマザーテレサの考え方にも通じます。仏教徒は、一人一人の衆生の中に仏さまを見ました。マザーテレサは、貧しい人の中にイエス・キリストを見ていたのです。
 このことから、マザーテレサが貧しい人たちと過ごしたのは、イエス・キリストに出会うためであったと分かります。イエス・キリストと出会った喜びは、仏教徒が、仏さまに出会った喜びと同じです。マザーテレサは、その喜びを得たいがために、貧しい人たちにひたすら奉仕したのです。むしろ、イエス・キリストに出会った喜びから、貧しい人たちに奉仕せずにはおれない気持ちになったのでしょう。イエス・キリストに出会った喜びが心の中からあふれ出し、あふれ出た喜びの心をもって奉仕することで、貧しい人たちの心をも潤していったのです。
 信仰と奉仕は、深い関係があります。

 ところで、来日したマザーテレサは、日本の印象を次のように語りました。
”…私は、インドの飢餓と病に苦しむ人たちの救済活動を求め
     て、世界各国を回って日本を訪れましたが、日本ほど物質的
     にも環境的にも、あらゆる面でこれほど恵まれた豊かな国は
     ありませんでした。しかし、その日本に住む人たちは、私が
     訪れたどの国の民族よりも、その表情の貧しさと暗さを感じ
     ました。こんな恵まれた豊かな日本人たちの表情が、貧しく
     て暗いのは、日本人が正しい信仰を持っていないからだと思
     います。”

 マザーテレサは、日本人の表情が貧しくて暗いのは、信仰心がないからだと指摘しました。イエス・キリストに出会って、喜びの日々を生きるマザーテレサの目は、日本人の信仰心のなさを見抜きました。
 喜びがなければ、奉仕の心も生まれません。奉仕の心がなければ、弱い者が切り捨てられます。強い者と弱い者の格差が生まれます。格差を生むことで、人間関係がぎくしゃくします。
 日本は、こんな悪循環におちいっているのではないでしょうか。

【 平城遷都1300年 】

  青によし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり

 その繁栄ぶりを和歌にも詠まれた平城京は、西暦710年に始まります。それから数えて、今年は遷都1300年。これを記念して、奈良では、いろいろな記念イベントが計画されています。
 奈良県は、遷都1300年行事に向けて、都のシンボルである大極殿を復元しました。ここをメイン会場として、多彩な行事が展開されます。
 これにあわせて、各寺では、秘仏や宝物の公開も予定しています。
 松尾芭蕉は、唐招提寺で、「若葉して御目の雫ぬぐはばや」という句を詠みました。
 中国から渡来した鑑真和上が、渡航中に暴風雨に会い、潮風で失明してしまった故事にちなんだ句です。
 また、「菊の香や奈良には古き仏たち」とも詠みました。
 奈良には、いろんな物語があります。日常のわずらわしさを忘れて、いにしえの物語をたどる旅も一興かなと思います。      合掌



平成21年2月
【 お寺の行事 】

      3月 期日未定  初お講   当番 道辻組

       ※ 期日は、3月のおたよりでお知らせします。

      4月 3日(金) 祠堂経会    説教 芳野広照師
          4日(土) 祠堂経会         願行寺住職(牛ケ首) 
          5日(日) 祠堂経会        (3日間とも)

             お誘い合わせてお参りください。

 ※ 平成23年(2011年)、東本願寺で親鸞聖人750回忌御遠忌が勤まります。
   現在、ご門徒の方々には、東本願寺の修復にかかる懇志をお願いしているところですが、お陰をもちまして、御遠忌に向けた準備が着々と進められています。
   能登教区では、お待ち受け大会、各組内でも、お待ち受け大会が企画されています。私たちの第3山方組でも、お待ち受け大会が計画されます。
   御遠忌に向けた色々な行事、御遠忌当日の団体参拝計画など、具体化しだい、皆さんにお知らせします。
   どうか、世紀の大イベントに出会っていただきたいものです。

【 信心 】

 福井県にある東尋坊は、高さ25mの上から海面を見下ろす断崖絶壁や奇岩が連なる奇勝の地です。東尋坊には、年間約100万人の観光客が訪れます。
 中には、自殺を志願して来る人もいます。東尋坊は、観光地としても有名ですが、自殺の名所としても知られています。多い年で、約30人が断崖絶壁の上から飛び込みます。飛び込む前に保護される人が、年間約70人います。これは、確認された数字です。未確認を含めれば、もっとたくさんの人が、自殺を志願して東尋坊を訪れているものと思われます。
 この東尋坊で、自殺防止のNPO法人「心に響く おろしもち」を立ち上げ、自殺防止活動を行っている人がいます。茂幸雄(しげゆきお 65歳)さんです。茂さんは、会員71名とともに、東尋坊をパトロールしています。不審な人物を見つけたら声をかけ、もし自殺志願者だと分かったら、自殺を思いとどまらせ、人生の再出発を支援するためです。
 ある日の午後、30歳くらいの青年が、東尋坊にあるNPO法人の詰め所を兼ねる売店を訪れました。
茂さんは、さりげなく声をかけました。その青年が、自殺に関する本を持っているのが見えたからです。
 青年は、自分の生い立ちを語り始めました。青年は、母子家庭で育ちました。その母も、小学5年生のとき亡くなりました。身寄りを無くした彼は、叔父の家に預けられました。叔父は、「仕方ねえから預かってやる!」と言いました。そのことばは、一生忘れられないことばとなりました。叔父の家では、夕食は叔父家族とは別々、叔父家族が旅行に出るときは、留守番をさせられました。彼は、年齢が近い従兄弟たちにも遠慮して過ごしました。いつも孤独でした。
 何とか、高校まで出してもらった彼は、卒業と同時に叔父の家を出ました。ホテルに就職しましたが、同僚と気が合わず、1年で退職。その後、10年以上、水商売を転々としました。この間、彼は、寂しさを分かってくれる友だち、自分と同じような境遇で育った友だちを捜しましたが、1人も出会いませんでした。そのうち、キャバクラにぬくもりを求めて通い始めました。自分の給料以上に飲んだ彼は、気がつくと、200万円以上の借金をかかえていました。追いつめられた青年は、東尋坊を目指しました。
 青年の話しを、茂さんといっしょに聞いていた女性スタッフが、「あなたも大変だったかも知れないけど、私だって大変だったのよ!」と話し始めました。女性スタッフは、自分の両親が自殺したこと、両親が自殺しても、色々な人に助けられ、生きる勇気をもらってやってきたことを語り、「あなたも、頑張りなさい。私たちが支援するから!」と言ってくれました。
 「地獄で仏」とは、このことです。青年は、人生で初めて、自分を分かってくれる、自分を支えてくれる頼りになる人と出会いました。青年は、自殺の緊張感がゆるみ、絶望の自分を温かく受け留めてくれる人間愛に身をゆだねる心地よさに、涙がとめどなく流れました。
 今まで、誰も信じられませんでした。そして、自分にも絶望しました。青年は、世間から孤立し、自分にも絶望したとき、自殺を考えたのです。
 しかし、青年は、誰も信じられない自暴自棄の中で、そんな自分でも信じてくれる人間愛と働きかけに出会ったのです。そのことで、捨てるつもりだった命を、拾ってもらうことになりました。青年は、救われました。
 信心とは、私が信じなくても、不信心な私を信じていてくださる働きかけに出会うことです。その働きかけに出会った感激のことばが、南無阿弥陀仏の念仏です。 そして、私を信じてくださる働きかけのことを阿弥陀仏と言い、その働きかけに身をゆだねることを、「信心」と言うのです。
 その後、青年は、茂さんたちの支援で自己破産手続きをし、再出発しました。

【 節分 】

 2月6日は、何の日だかご存じでしょうか。
 「海苔の日」だそうです。
 昭和62年、大阪の海苔協同組合が、海苔をたくさん食べてもらうために、2月6日を海苔の日と決めました。2月6日としたのは、大宝元年(西暦701年)に制定された「大宝律令」で、海苔が年貢として初めて認められたことにちなんだのだそうです。大宝律令は、2月6日に制定されました。
 海苔協同組合は、海苔の日が節分に近いことから、大阪の船場あたりで行われていた節分の行事にあやかることにしました。船場では、昔から、節分の日に海苔巻きを切らずに、「恵方」(えほう)を向いて、黙って丸かじりする行事が行われていました。
恵方とは、その年の福徳をつかさどる吉神、歳徳神(としとくじん)さまがおられる方角のことです。歳徳神さまのおられる恵方には、色々な良いことがあります。恵方に向かって、海苔巻きを丸かじりするのは、海苔巻きは色々な具材を包み込んで食べることから、恵方にある良いことを丸ごと巻き取るという意味があります。また、切らずに食べるのは、良いこととの縁を切らないためだそうです。黙って食べるのは、歳徳神さまに、ひたすらおすがりする真心の表明を意味するのでしょうか。商売繁盛を願って、歳徳神さまに協力してもらい、それなりの意味ももたせて海苔巻きを宣伝する知恵は、さすが大阪商人です。
 大阪の道頓堀で、節分の日に行った海苔巻き丸かじりイベントが、テレビ放映されたことで、全国に広まりました。
 近年、石川県でも、恵方巻きが売られるようになりました。節分近くなると、食品を扱う商店では、さかんに恵方巻きを宣伝します。スーパーなどでは、新聞折り込みを入れ、店内いたるところに宣伝ポスターが貼られます。
 今年の恵方は、東北東と言われていますが、正確には「東微北」−東と東北東の間、東から少し北に向いた方角です。
 この微妙な差が、大違いになるかも知れません。ちなみに、来年は「西微南」だそうです。
 季節の行事を楽しんでください。     合掌


平成20年2月

【 お寺の行事 】

            2月17日(日) 前住職満中陰法要  10時30分

            2月24日(日) 歓喜光院殿初御崇敬 10時

            3月 未定    初お講       当番 谷口組 

            4月 4日(金)〜6日(日)の3日間
                      祠堂経会 

                    お誘い合わせて、お参りください。

【 役員の異動 】

 1月13日の役員会で、役員の異動が承認されましたのでお知らせします。

     新役員  総   代  石 川 昌 治
     新役員  門徒委員  谷 口 政 勝

     退 任  福 島 常 志

 福島常志さんには、長らく極應寺の門徒総代としてご尽力いただきました。4月の祠堂経会で、寸志をお贈りして謝意を表したいと計画しています。


【 今生が一大事だ! 】

 作家の藤本義一さんが、著書『歎異抄に学ぶ人生の知恵』の中で、父親の臨終のようすを書いています。
 藤本義一さんのお父さんは、亡くなる十分前ごろから、しきりに独り言を言い出しました。最初は、誰かに謝っているようでした。
  父親「済んまへん。済んまへん。じきに片付けますよってに…。」
これを聞いた藤本さんは、最初、何を謝っているのか分かりませんでした。そして、思い当たりました。お父さんが入院する前、飼っていた犬が近所のゴミ箱をひっくり返し、ゴミを散乱させたことがありました。そのとき、お父さんは近所を一軒ずつ回って謝まりました。そのことを思い出しているに違いありません。
 それから、二分ぐらい経ちました。お父さんは、ふたたび話し出しました。
 父親「これはマツボックリや。ほれ、また落ちてきたで!」
お父さんは、誰かに教えています。おそらく、孫と近所の公園へ行ったときの思い出がよみがえった違いありません。十年ほど前のことです。
 数分間の沈黙があり、お父さんは、何だか楽しいような表情を浮かべました。
  父親「まあ、世の中、新しいことやないか!」
誰かと話しています。お父さんは、時代が大正から昭和に変わった時のことを思い出しているのでしょう。昭和という新しい時代に、期待を寄せていたようすがうかがえます。
 お父さんの意識は、だんだん若いときに帰っていきます。
 しばらくの沈黙があったあと、急に大きな声で呼びかけました。
  父親「マッちゃん!太鼓はあっちに鳴っているで!早よ、早よ、行こ!」
子ども時代の祭りの記憶がよみがえったようです。
 それから、また、二分ほどの沈黙があり、お父さんは手を伸ばして、枕元にいた藤本さんの姉の胸に触れました。
  姉「お父さん、それは、なに…?」
  父親「乳…。」
お父さんの意識が赤ん坊に回帰しました。 
 このとき、医師から臨終が告げられました。
 お父さんの臨終に立ち会った藤本さんは、臨終を前にした父の意識が、子ども時代に回帰していくようすを見て、「輪廻」ということを感じたと述べています。
なぜ、記憶が子ども時代へ回帰していくのでしょうか。人は死ぬとき、どうして、記憶が昔に帰っていくのでしょうか。
 藤本さんは、そんな難しいことは考えませんでした。
 藤本さんは、「父の臨終は、人間は生まれては死に、また他の世界に生まれていくという輪廻ということを教えてくれた」と考えています。
 藤本さんは、お父さんは、やがて母親の胎内にもどり、さらに胎内に宿る前の混沌とした世界へ帰って行ったというイメージを感じたのかも知れません。
 父は混沌の世界へ帰って行った、そして、死ぬことは混沌の世界へ生まれ出ることだというふうに受け止めることができれば、それはそれとして幸せなことかも知れません。藤本さんのお父さんは、安らかな死を迎えたことになります。そして、このように考えることは、父を亡くした藤本さんにとっても、親の死を無理なく受け入れられる受け止め方となりました。
 さて、私たちは、安らかな死を迎えることができるでしょうか。また、安らかな死を迎えるにはどうしたらよいのでしょうか。
 このことで思い合わされるのは、蓮如上人の「たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」(『御文』第五帖)ということばです。「後生」とは、死後に生まれる世界のことです。蓮如上人の時代には、人々は、死後に生まれる世界のことを、現代人よりも強く意識していたことと思います。蓮如上人は、死後に生まれた世界で一大騒動が起こらないようにと戒めました。この蓮如上人のこころを体して、赤尾の道宗は、「後生の一大事、命のあらんかぎり、油断あるまじきこと」と諭しました。蓮如上人は、「後生が一大事にならないために念仏を申せ」と言い、道宗は「後生が一大事にならないために油断するな」と戒めています。
 したがって、私たちにとって、「後生の一大事」を心配するその前に、「今生が一大事」なのであります。私たちは、今生において、「念仏」を申しているでしょうか。また、「油断」せず生きているでしょうか。
 否です。
 私たちは、「念仏」を申せるような生き方をしていません。そして、仏さまの教えから外れて、油断ばかりして生きています。
藤本さんのお父さんは、「油断なく」生きました。
 子ども時代は思いっきり遊んだことでしょう。大人になってからは、人とのつながりを大切にし、希望を持って前向きに生きたに違いありません。そして、老後は、孫たちに囲まれて過ごし、充実した人生を生き切りました。
 その結果として、安らかな死を迎えることが出来たのです。
 「後生」を気にかけることもなく、「今生」を漫然と生きている自分が反省させられます。



平成19年2月


  【お寺の行事】
      3月 未定    お 講 当番 谷川組

      4月 6日(金)
           7日(土) 祠堂経会     布教師 未定
          8日(日)            8日は、誕生児初参りも行います。
           ※ また、期間中、帰敬式(お髪そり)も行います。帰敬式ご希望の方はご一報ください。

 【 涅槃会のころ 】
 2月は、お釈迦さまが亡くなられた月であります。
 お釈迦さまは、2月15日に亡くなられました。
 このことにちなんで、「涅槃会」というお参りを2月に勤めるお寺があります。中には、法要のあと参詣者に団子を撒いたりする行事を行うお寺もあります。団子の形が犬の形をしていることから、「犬の子まき」とも言われ、地域の季節の行事として定着しているお寺もあります。団子が犬の形をしているのは、お釈迦さまが亡くなられたとき、菩薩・天人・弟子・在家信者などはもちろん、鳥やけだもの、その他すべての生きとし生きるものが悲しんだという故事に由来しています。団子は、魔除けのお守りとして大切にされます。
 涅槃とは、煩悩の火が吹き消された安らかなさとりの境地を意味します。このことから、人が死ぬことも「涅槃」と言うようになりました。死ぬということは、命の火が消えることであります。同時に、命とともにある貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩も消えてしまいます。よって、煩悩から解放された境涯という点では同じであるわけです。このように、涅槃ということばは、2つの意味で使われてきました。
 私たちにとって大事なことは、この世において安らかな境地に入るという意味での涅槃であります。死んで初めて煩悩のしばりから解放される涅槃ではなく、生きている身を保ちながら、煩悩のしばりから解放されて生きる涅槃であります。この涅槃の境涯を求めて、お釈迦さまは大変な修行を積まれました。そして、お釈迦さまが説かれた涅槃の教えは、菩薩・天人のみならず、すべての人々、すべての生きとし生けるものに心安らかな恵みを与えるものとなりました。
 お釈迦さまの教えの特徴は、例外なく心安らかな恵みを得るという点にあります。誰一人、何一つ欠けることなくすべてが涅槃の境地を得ることができるという教えであります。この涅槃の境地を共有して生きる境涯こそが、「極楽浄土」と言われる世界であります。
 したがって、「極楽浄土」は、あの世の話とだけ考えるのは間違いであります。
 【 癒しの音楽 】
 「千の風になって」という歌が話題になっています。昨年のNHK紅白歌合戦でも歌われました。また、この歌を題材にした本も何冊か出版されています。「千の風になって」の作詞者は、アメリカの女性であると言われています。そして、「千の風になって」の詩は、世界各国の戦争記念日や慰霊祭などで詠まれ、遺族の悲しみを和らげているということです。
 この歌が注目されるのは、日頃私たちが思っている「死んだらどうなるか」という疑問に分かりやすく答えてくれているからです。

              千の風になって
                                訳詞 新井 満
                                作曲 新井 満
         私のお墓の前で 泣かないでください
         そこに私はいません 眠ってなんかいません
         千の風に
         千の風になって
         あの大きな空を
         吹きわたっています

         秋には光になって 畑にふりそそぎ
         冬はダイヤのように きらめく雪になる
         朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
         夜は星になって あなたを見守る
               −以下略−

 この詩を読んで、妙好人と言われた讃岐の国の庄松のことばが思い合わせられます。病気になった庄松を見舞った人が、「お前が死んだら墓を立ててやるよ」と言ったら、庄松は、「石の下には居らぬぞ、居らぬぞ」と答えたということであります。
 「千の風になって」も庄松が考える死後の世界も同じであるように思います。いとしい人が死んでもいっしょに居てくれる、そして自分が死んだら、風になり光になり鳥になり星になっていっしょに居る、そのことを感じて生きる生き方に目覚めさせてくれる歌が「千の風になって」であり、庄松のことばであります。  

 【 納豆騒動 】
 納豆を食べたらやせられるということをテレビが放送したため、納豆が爆発的に売れ出し、スーパーの納豆陳列棚がすぐ品切れ状態になるという珍事が起こりました。
 この騒動は、放送内容のねつ造が発覚し、うそであることが判明して、半月もしないうちに収束しました。
なぜ、こんなことになるのでしょうか。消費者の行動が理解できません。
 やせたければ、食べなければいいのです。食べてやせるということは理屈に合いません。食べものは、体をやしなうものです。もし、食べてやせられる食品があるとすれば、それは毒です。この簡単な理屈を失った現代人の判断の仕方や心の在り方に危うさを感じます。                       合掌



平成18年2月

【 行事の予定 】     3月 未定   初 お 講    当番 石川組
               3月31日(金)祠堂経会     13時30分
               4月 1日(土)祠堂経会     13時30分
               4月 2日(日)客殿・門徒会館落慶法要
                                    10時00分

【 不遇を生きる 3 】

 昨年の11月と12月の2回にわたって、「不遇を生きる」というテーマでおたよりしました。
 人生は、自分の思い通りにならない不如意なものであることは、誰でも承知しています。さらに、不如意ばかりでなく、筋道の通らない不条理なできごとが起こるのも人生であります。この不如意・不条理に出会ったとき、私たちは、我が身の「不遇」を嘆き恨みます。
 この「不遇」の人生をどう生きたらよいか、またどう生きるべきか、このことについて、「王舎城の悲劇」の物語を紹介しました。
 この物語の発端となった頻婆娑羅王幽閉事件は、「善因善果」「悪因悪果」という「因果」について説いたものであります。この「因果」の教えは、この世だけの行いだけでなく、前世と来世を含めた三世にわたる人間の行為について、その善悪を説いたものであります。そして、どちらかというと人間が持つ根元的な罪悪性に気付かせるための教えです。
 仏さまの目から見れば、悪を犯さない人間は誰もいません。人間は、一人残らず悪事をはたらいていると仏さまは見ています。
 仏教で言う「悪事」とは、刑法に触れる犯罪だけではありません。
 「五戒」という教えがあります。仏教徒として、人間として守らねばならない「5つのいましめ」のことです。
    1.不殺生戒(生き物を殺してはいけない)
    2.不偸盗戒(他人のものを盗んではいけない)
    3.不邪淫戒(よこしまな男女関係はいけない)
    4.不妄語戒(うそをついてはいけない)
    5.不飲酒戒(みだりに酒を飲んではいけない)
 この五戒のほかに、八齋戒とか十重禁戒などという戒(きまりごと)があり、小乗仏教では、男の僧侶の場合は250戒、女性の僧侶の場合は350戒を守らねばならないとされています。これらの戒の中の1つでも破った場合、破戒ということで、悪事をはたらいたことになります。
五戒を見ただけでも、「私は、五戒すべて守っている潔癖な人間だ」と言える人は、誰もいないと思います。他の4つの戒は守っていても、ちょっとぐらいのウソなら誰でもついた覚えがあるはずです。まして、250戒・350戒となると、生半可なことでは守れません。はたして、守れる人などいるのでしょうか。
 戒の教えは、人間は、きまりごとを守れず、罪を犯しながら生きる存在だということに気付かせてくれます。罪を犯しながら生きるのが、人間の業であります。
 その我が身の罪は、我が身を振り返ることでしか自覚されません。他人の悪事を云々するのではなく、我が心と向き合うということです。自分の目を、外に向けるのではなく、自分の内側に向けねばなりません。我が心と向き合えば、我が心の醜さに誰でも気付きます。我が心は真っ黒だと分かります。
 そして、信仰は我が身の罪深さの自覚から始まります。
仏さまの教えは、不如意な状況を如意に変え、不条理な状態を条理あるものに変える魔法ではありません。
 誰がどう頑張ってみても、不如意と不条理はなくなりません。誰彼なく、すべての人に不如意と不条理はついてまわります。そして、誰もそれらから逃れることができないのです。
 そうすると、結局、不如意と不条理は受け入れざるを得ないことになります。
 この不如意と不条理を受け入れられるか否かは、我が身の罪悪性の自覚の有無によります。罪悪性の自覚が深い人ほど、不如意と不条理をすんなりと受け入れているようです。逆に、罪悪の自覚が浅い人ほど、受け入れられずに苦しんでいます。
 妙好人と言われる人たちは、堅固な信仰を持つ人たちです。その妙好人の中に、栃平ふじという人がいました。能登の信仰風土が生んだ妙好人でした。その栃平ふじさんが、次のようなことばを残しています。
   私は 鬼の子である親である 慚愧歓喜のお念仏 栃平ふじ
 このことばから、栃平ふじさんの信仰には、自分は「鬼の子である」という悪の自覚が根底にあることが分かります。その慚愧の思いがそのまま歓喜の念仏に転化しています。ここに、信仰というものの意外性と不思議さがあります。
 普通に考えれば、悪の自覚はそのままが地獄行きです。しかし、信仰という立場から言えば、悪の自覚は、極楽行きの切符をもらったことと同じなのです。つまり、地獄行きと思われた悪の自覚そのままで、仏さまに救い取られて行くということです。
 そして、栃平ふじさんは、「鬼の子」であると心に覚悟したはずの我が身が、実は「仏の子」であったと知らされます。
   私は 仏の子である親である 慶喜歓喜のお念仏 南無阿弥陀仏 栃平ふじ 
 さらに、ふじさんはお釈迦さまと阿弥陀さまを味方につけて、不如意を生きる強い力までもらうこととなりました。
   釈迦弥陀は 慈悲の親です夫です 貧乏所帯も苦にならず 栃平ふじ
 貧乏は、誰も好みません。できれば、ゆとりある生活を楽しみたいと願うのは万人の共通した思いであります。
 しかし、ふじさんは、貧乏という不如意から抜け出せませんでした。この不如意を、不如意のまま受け入れる覚悟ができたとき、貧乏で苦しむ自分を見守ってくださっているお釈迦さまや阿弥陀さまの存在と働きかけに気付きました。
そして、栃平ふじさんは、貧乏にもかかわらず、貧乏にくじけることなく、不如意な生活を力強く生き抜きました。貧乏を補って余りある豊かな心の財産を得たからであります。
 この財産さえあれば、不如意であろうが、不条理であろうが、それらを超えて、娑婆の苦を忘れて生きる心の世界を開くことができます。
 仏さまは、この心の世界を開くために、まず我が心と向き合いなさいと教えてくださっています。 合掌                   〈次号につづく〉

平成17年2月


【お寺の行事】 
 
           3月 4日(金)祠堂経会 13時30分
               5日(土)祠堂経会 13時30分
               6日(日)初 参 会(誕生児の初参り) 13時30分    祠堂経会 14時00分


              なお、説教は芳野広照師(願行寺住職)にお願いしました。

                   お誘い合わせてお参りください。


【 酉(鶏)年 】

 人間は、いつの時代からにわとりを飼うようになったのか知りませんが、人間とにわとりのつき合いは、かなり古いように思われます。
 中国の『史記』という書物の中に、にわとりの鳴き声で命拾いをした孟嘗君という人の話が載っています。
 中国の戦国時代の話ですから、紀元前300年前後のことです。斉という国に孟嘗君という王族がいました。孟嘗君は、優れた能力を持った食客と呼ばれる家来を3,000人雇っていました。その中に、これといった才能はないのですが、にわとりの鳴き真似が上手だという理由だけで雇われた食客が一人いました。しかし、他の食客たちは、この男が食客として雇われていることに不満を持っていました。こんな男と自分たちが同列に扱われたらたまらないという気持ちが食客たちの中にあったからです。そして、食客たちは、こんな男を食客として雇っておく孟嘗君の気持ちを測りかねていました。
 あるとき、秦国の王が、孟嘗君を秦の大臣として雇い入れることにしました。孟嘗君は、3,000人の家来とともに秦に行きました。しかし、ある人が秦の王に対して「孟嘗君は、もともと斉の国の人間だから、秦の国のことは後回しにして政治をするだろうから、秦にとって害はあっても利益にはなりませんよ。孟嘗君を雇い入れることは危険なことです」と忠告しました。これを聞いて、「それもそうだ」と思った秦王は、孟嘗君を捕らえて殺すことにしました。
 この動きをすばやく察知した孟嘗君は、家来たちとともに逃げることにしました。秦から出るためには、関所を通らねばなりません。名前を変え、通行手形も作り替えて脱出を図ろうとした孟嘗君が函谷関に到着したのは真夜中でした。関所の決まりでは、一番鶏が鳴いたら門を開けることになっています。孟嘗君は焦りました。後ろから、孟嘗君が逃げたことを知った秦の軍隊が追いかけています。一刻たりとも、関所の前で門の開くのを待っている余裕はありません。
 そのとき、にわとりの鳴き真似の上手な食客の男が、一声「コケコッコー」と鳴き真似をして見ました。すると、関所のにわとりがみな一斉に鳴き出したのです。関所の役人は、「もう夜が明けるのか!」と思って関所の門を開け、孟嘗君一行を通しました。その直後、秦の軍隊が函谷関に到着しました。しかし、国外に出てしまった孟嘗君を、追っ手の軍隊はどうすることもできませんでした。
 こうして、孟嘗君は、間一髪のところで虎口を脱し命拾いしました。
 このことがあってから、孟嘗君の食客たちは、にわとりの真似が上手な男に一目置くようになるとともに、孟嘗君の人を見る目の優れていることに敬服するようになりました。
 食客たちには、にわとりの鳴き声が孟嘗君の命を救うことになろうとは思いも寄らなかったのです。 
また、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』には、カンダタという大悪党が出てきます。カンダタは、悪業の報いで、当然のこととして地獄に堕ちます。しかし、カンダタは、この世にいるとき一つだけ良いことをしていました。それは、山道で一匹の蜘蛛を助けてやったことです。このことを知ったお釈迦さまは、カンダタを極楽へ救い上げてやろうと考えました。そこで、極楽の泉から地獄の底へ一本の蜘蛛の糸を垂らしてやりました。血の池地獄に放り込まれてもがいているカンダタの頭上に、一本の蜘蛛の糸がスルスルと下がってきました。これを見つけたカンダタは、「しめた! これを登って行けば地獄を抜け出せるかも知れない!」と考え、蜘蛛の糸につかまって登り始めました。途中まで登ったところで、カンダタは下を見ました。なんと、下から続々と罪人たちが蜘蛛の糸を登って来るではありませんか。カンダタは、自分一人でも、ただでさえ細い蜘蛛の糸が切れてしまうのではないかと恐れました。そして、下に向かって、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。お前たちは一体誰に聞いて、登って来た。下りろ。下りろ」と叫びました。
 そう叫んだ瞬間のことです。蜘蛛の糸はカンダタの手元からプツリと切れてしまいました。カンダタはたまらず、他の罪人たちとともに、元の真っ暗な地獄へ真っ逆さまに落ちて行ったのでした。
 カンダタには、慧眼がありませんでした。なぜ、蜘蛛の糸が頭上から垂れてきたのか知らないまま登り始めました。そして、自分一人だけ助かりたいという「我欲」が出たため、極楽へ行ける道を自ら断ってしまいました。
 地獄に逆戻りしたカンダタには、さっきのことが何のことだったのか、さっぱり分からなかったはずです。生前に、一匹の蜘蛛を助けたことなど思い浮かぶはずもありませんでした。
人間は、限られた範囲でしか、ものを見ません。その範囲は、人によって差があるでしょうが、孟嘗君のように広い範囲を見通せる人は少ないのです。その範囲を狭めているのが、我欲です。我欲は、自分の都合だけでしかものを見ません。そのため、まちがった判断を下してもめごとの原因を作ったりします。
 仏教の教えに、「山川草木悉皆往生」とか「一切衆生悉有仏性」ということばがあります。このことばは、生きとし生けるもの、さらに山や川などの生き物でないものにまで、すべてに仏さまの命が宿っているという考え方です。
 この教えを知っていた孟嘗君は、にわとりの鳴き真似の上手な男を食客に迎えたことで、命拾いしました。
 一方、カンダタは、仏さまの教えを知らなかったばかりに、せっかく良いことをしたのに、元の地獄で苦しむことになりました。
 同じく、この世に生を受けながら、その後の人生に大きな差が生じるということは、こういうことなのでしょうか。
 私たちは、どんなちっぽけなものにも存在価値があり、存在意味があるという仏さまの目を持って生きたいものであります。  合掌

平成16年2月


【他力本願】

 1月20日付北國新聞に「他力本願論争再び」という見出しの記事が載りました。浄土真宗本願寺派の石川教区から、「他力本願」の意味を正しく伝えるためのパンフレットが出版されたという記事です。
 「他力本願」は、私たち浄土真宗の教えを生きる者にとっては、教えの根本を表すことばです。ところが、このことばの元々の意味を間違えて使う人が出てきました。そして最近の国語辞典には、正しい意味に加えて、「本来の意味から転じて」とか、「誤用だが」と断り書きをしたうえで、「もっぱら他人の力をあてにすること。」という意味を載せるようになりました。
 確かに、「他力」ということばは、字面から見ると、いかにも「自分では何もせず、他人の力をあてにする。」という意味に解釈してしまいがちです。この解釈は、仏教の教えになじみのない人にとっては当然のことでしょう。「その解釈は間違っている。」と言っても、素直にうなづいてもらえないほど、本来の意味を知らない人が増えてきました。これは、宗教に無関心な人が増えたということでもあり、また本来の意味を伝える努力も足りなかった結果でもあると言えます。
では、「他力本願」は、元々、どんな意味だったのでしょうか。
 まず、「他力」の「他」とは、誰なのかということです。それは「阿弥陀仏」です。「阿弥陀さま」であります。したがって、「他力本願」とは「阿弥陀さまの願い」という意味です。阿弥陀さまの願いは、48項目あって、「弥陀の48願」とも言われています。そして、阿弥陀さまの願いとは、一言で言えば「すべての人に恵みを与えて、極楽浄土に救ってやりたい。」というものです。したがって、私たちは、「他力本願」を、人間のなまくらな願いと考えがちでしたが、実は、仏さまから人間にかけられた願いのことであったわけです。
 阿弥陀さまは、私たちに願いをかけておられます。その阿弥陀さまの私たちに対する働きかけを「他力」または「本願力」と言うのです。そうすると、私たちは、いつも阿弥陀さまの働きかけの中で生きているということになります。

 『西遊記』という中国の物語をご存じだと思います。「孫悟空」という猿が出てきます。その孫悟空が、あまりにも悪さをするので、お釈迦さまが懲らしめるという場面があります。

 お釈迦さま 「もし、私の右の手の平の中から飛び出せれば、お前を天の主人にしてやる。

 孫悟空   「それは、たやすいことだ。」

 孫悟空は、キント雲にとび乗って大空へ飛び出しました。しばらくすると、前方に、雲の中から5本の柱が立っているのが見えます。ここが、天のはずれだと思った孫悟空は、真ん中の柱に「孫悟空ここに遊ぶ。」と落書きして、柱の根本に小便をかけて、ふたたびお釈迦さまの手の平に帰ってきました。

 孫悟空   「おれは、天の端まで行って、証拠まで残してきた。疑うのなら、おれに付いてこい。」

 お釈迦さま 「その必要はない。お前の足元を見ろ。」

 足元を見た孫悟空は、びっくりしました。お釈迦さまの中指に「孫悟空ここに遊ぶ。」と書いてあり、しかも小便の臭いまでしたのです。

 お釈迦さま 「お前は、私の手の平の中を飛び回っていただけなのだよ。」

 孫悟空にとってみれば、お釈迦さまの手の平から飛び出して、天の端まで行ったつもりだったのですが、それは孫悟空がそう思っただけのことで、実は、お釈迦さまの手の平の中をグルグル飛び回っていたにすぎませんでした。そしてお釈迦さまは、悪さをする孫悟空を懲らしめるため、五行山という山の下に閉じこめてしまいました。それから500年、孫悟空は三蔵法師に助け出されるまで、五行山の下敷きにされてしまいました。
 
 『西遊記』の中のこの挿話は、「他力」という教えのたとえ話になっています。
 私たちは、いくら頑張っても、どうあがいても、また自分で成し遂げたと思っていても、すべてお釈迦さまの手の平の中でのことでした。お釈迦さまの手を離れて起こったことではありませんでした。お釈迦さまは、いつも温かい手で、私たちを包み込んでくださっていました。それに気づかず、わがままなことを言ったり、勝手なことを行ったりしていた私たちなのでした。
 その、お釈迦さまの暖かい手こそが、「他力」なのであります。また、お釈迦さまが、私たちを暖かい手で包み込もうとされる働きも「他力」なのであり、包まずにはおれないと願われる心が「本願」なのであります。
 親鸞聖人は、「他力」に対する「自力」について、「自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。」とおっしゃっています。頑張ることは悪いことではありませんが、つい「おれが、おれが」と自分中心になってしまい、孫悟空のように自分が天下を取ったような気になって、わがままになってしまいます。しかし、わがままにしておれるのも、所詮、お釈迦さまの手の中でのことです。「自力、自力」と言い張ってみても、所詮、「他力」という支えがあってこそできることなのです。だから、「自力」と「他力」は、別々にあるのではありません。「他力」に支えられてこその「自力」なのです。「他力」の上に乗っかっているのが「自力」なのです。「他力なしでの自力」は成り立ちません。しかし、「自力なしでの他力」は成り立ちます。私たちのお念仏の信仰は、「他力の信仰」なのであります。
 したがって、私たちが心得ておくべきことは、お金をもうけるとか、家族を幸せにするために頑張ることは悪いことではありません。頑張ることは、「自力」を励むことです。しかし、私の「自力」を「他力」が支えてくれているのだということを忘れた「自力」であってはならないということです。孫悟空になってしまいます。
私たちは、「自力」ばかりの毎日を送っています。「自力」ばかりであるがゆえに、「他力」に目覚めることが大切なのであります。親鸞聖人は、この「他力」を感じる心、「仏さまの働き」を感じる心が「お念仏の心」であると教えてくださいました。

【追伸】 「他力」について書き始めたら、いつもより長くなってしまいました。「他力」は難しい教えです。意味が難しいのではなく、理解するのが難しい教えです。
     しかし、浄土真宗の教えの根本が「他力」なのですから、「他力」の教えが納得できれば、ほかの教えは、スポンジが水を吸うようなもので、簡単に分かるようになります。「仏法を喜ぶ」と言いますが、仏法を喜べるのは、「他力」が分かった人においてできることなのです。
     どうか、「他力」を心に感じて、「お念仏を喜ぶ日暮らし」に目覚めていただきたいものであります。       合掌!

平成15年2月

【横綱 貴乃花の引退】

 大相撲では、寺尾につづいて横綱貴の花が引退しました。人気力士が相次いで土俵を去ったことで、角界も少しさびしくなったような気がいたします。
しかし、貴の花の引退のことばは、すがすがしいものでした。貴の花は、15年間の土俵人生を振り返り、「日々のけいこが支えで、ここまで無我夢中でやってきました。」と述べ、引退する今となって思うことは、「ファンの声援に支えられて、無事に現役を終えられたことを感謝しています。」と続け、「今後は、辛抱強い力士を育てていきたいです。」と抱負を述べました。
 この貴の花のことばは、30歳の若者の口から出たとは思えないほど立派なものでした。それは貴の花のことばを、そのまま信仰に当てはめて考えられるからです。
信仰の世界では「往相回向」ということを言います。往相回向とは、信仰の世界に入っていくはたらきを言います。信仰の世界に目覚めることは、親鸞聖人が『正信偈』の中で「難中之難無過斯」と説いているように簡単なことではありません。貴の花は、相撲道を無我夢中で求め続けた結果、横綱という地位まで上りつめました。この無我夢中は、信仰においても求められる姿勢です。かの法蔵菩薩さまが、安楽国土を建設されるときに、「勇猛精進にして志願倦むことなし。」(『大無量寿経』)と、ひたすらお浄土の建設に励まれました。そして、その結果、建設された世界が極楽浄土であるわけです。貴の花の相撲道を究めようとする姿勢は、法蔵菩薩の姿そのものでありました。
 そして貴の花は、引退に当たって「感謝」ということばを述べました。この「感謝」は、信仰の世界においては、信仰の本質であると言っても過言ではありません。信心の本体が「感謝」なのであります。それは、この私の命を支えてくださっている方々やものへの感謝であり、信仰に目覚めるということは、この私を支えている存在のありがたさに気づくということでもあります。
 貴の花にとっては、ファンや親方、ライバル力士たち、家族や相撲関係の人たちが支えでした。貴の花は、これらの自分を支えてくれた人たちの存在を”有り難い”と感じたのです。
 しかしながら現代人は、感謝の心を忘れてしまいました。自分自身を支えている存在を忘れて、自分一人で生きているかのような錯覚におちいり、わがままになり過ぎてしまいました。ですから、人間同士のトラブルが絶えず、この種のニュ−スが連日マスコミをにぎわせています。「ご恩」と言えば、古くさいかも知れませんが、私を支えている存在への「ご恩」を忘れた人間の行く先は、餓鬼道や畜生道など地獄の世界しかありません。私たちは、そういう危険性をはらんだ時代を生きているのだということを考えてみるべきであります。
 それにしても、一つの世界を究めた人のことばには、老若問わず深い味わいがあるものであります。     合掌