荘厳

年頭のご挨拶

新年の荘厳

平成29年元旦

  皆さん、明けましておめでとうございます。

 今年は、酉年。
 昨年は、鳥インフルエンザが流行って、鶏はじめ、鳥にとっては、ご難つづきの年でした。
 鳥に限らず、人間にとっても、いつ何が起こるか予想できない時代になりました。
 自然災害や事件・事故が頻発しています。

 こんな時代を、どう生きたらよいかということで、今年最初の掲示板に書いたことばは、

    人間に生まれて良かった!
    これで、後生解決。

です。
 「人間に生まれて良かった!」と思えれば、後の人生は心穏やかに生きられるし、安心して死んで行けるという意味です。

 このことばは、ある医師が言ったことばです。
 この医師は、終末期の患者さんを担当する医師、看取り医師とも言われる医師です。
 亡くなっていく人を、いつも見ています。
 その経験から、出て来たことばです。

 その医師が言うには、

   人は、生きたように死んで行く。
   感謝して生きた人は、感謝しながら死んでいくし、愚痴を言って生きた人は、やっぱり愚痴を言いながら死んで行く!    
   死に様は、生き様だ!
   生き様が、死に様になる!
   
と言っています。

 私も、仕事柄、亡くなった人の顔を見ることが、皆さんよりは多いと思います。
 死に顔を見ると、

    ・この人は、「眠っているのではないか?」と疑うような安らかな死顔の人。
    ・この人は、「思いを残したのではないか?」と思われる死顔の人。

 人それぞれです。

 死んだ人の顔は、時間が経てば、だんだん変わっていきます。
 無表情になっていきます。
 枕経は、死んで間もないときに読みます。
 そのとき見る顔には、人それぞれに表情が残っているように見えます。
 その表情を見て、看取り医師が言った「人は、生きたように死んで行く!」とは、このことかと思うのです。

 「人間に生まれて良かった!」と思える人は、感謝の心を持っている人です。
 感謝の心があるから、「人間に生まれて良かった!」と思えるのです。

 しかし、感謝の心は、なかなか持ちにくいものです。
 人には、「感謝の心を持て!」と教えるけれども、そう言う我が身は、さほど感謝の心を持っていないことが多いように見受けます。

 感謝の心は、仏教でも説かれます。
 皆さん、ご存知の、

    如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
    師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

 親鸞聖人が作った和讃のことばです。
 感謝の心を持って生きる心を歌にした和讃です。

 年末の新聞の投書欄に次のようなコラムが載っていました。
 書いたのは、86歳の女性です。
 86歳といえば、昭和5年ごろの生まれです。
 日本は、やがて、戦争の時代を迎えるときに生まれました。
 そのコラムは、

    私が、子どもの頃、家が農家だったことから、牛を飼い、犬を飼い、鶏やアヒルも飼っていました。
    鶏は、卵を産んでくれるので、それを拾ってきて、毎朝、家族全員で、新鮮な卵かけご飯を食べました。
    そのうち、戦争が始まって、犬は、軍用犬として招集されました。
    犬は、招集されたまま、帰って来ませんでした。
    後で、戦死したと知らされました。
    父親も、白紙動員(徴用)されて、舞鶴の方へ行かされて、家を留守にしました。
    父が動員されたあと、家は、女だけとなりました。
    女の稼ぎは、知れています。
    それでも、物資のない戦争の時代を乗りこえられたのは、鶏がいてくれたからです。
    鶏の卵を食べて、元気もらって、女手だけで田畑を守りました。

    卵の有り難みを、忘れることができません。

と綴られています。

 「卵の有り難みが忘れられない」。
 これが、感謝の心です。

 卵が、感謝の心を教えてくれました。
 卵に、感謝の心を教えてもらったのです。

 今は、卵は、いくらでもあります。
 しかも、安価です。
 それがため、「卵は有り難い!」と思って食べている人は、昔ほどではないと思われます。

 しかし、卵は卵。
 卵は、昔も卵、今も卵。
 変わりません。

 変わったのは、人の心です。
 人の心が変わってしまいました。
 そのため、「有り難い!」と思わねばならないものを、「有り難い!」と思えなくなったのです。

 人間は、卵ばかりでなく、色々なものを食べて生きています。
 生きているというより、生かされています。
 そのこと自体が、有り難いことなのです。

 このことを教えてくれるのが、仏さまの教えのことばです。
 生きていく上で、大事にしなければならない心を説いてあるのが、お経のことばです。
 仏さまの教えを聞きながら、自分をながめてみれば、自分は、感謝しなければならい命を生きていることを知らされます。
 そのとき、

   人間に生まれて良かった!

と思えるのです。

 今年も、仏さまの教えを、お寺から発信したいと思います。
 どうか、宜しくお願いします。


平成28年元旦

 明けましておめでとうございます。

 最近、新聞・テレビで、いいニュースを見かけません。
 暗いニュースばかりです。

 ニュースというものは、「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」ということわざがあるように、普通にある話とか、当たり前の話はニュースにならないそうです。
 人が犬を噛むことは滅多にありません。
 犬が人を噛むことはたくさんあります。
 これが、普通です。
 だから、今月は、何人が犬に噛まれたとか、今年は何人が犬に噛まれたとかいうニュースは見たことがありません。
 犬に噛まれて死んだということになれば、ニュースになりますが、犬が人を噛んだだけでは、よくある話だから、ニュースになりません。

 ニュースは、当たり前でないこと起こると、ニュースになるのです。

 年末、ひとつの明るいニュースがありました。
 日本と韓国が仲直りしたニュースです。

 このニュースを聞いて思ったことは、人が仲良くすることは、当たり前のことですが、その当たり前のことが、ニュースになったということは、今まで如何に仲が悪かったかということです。
 今までは、仲が悪いことが当たり前になっていて、仲の良いことが当たり前でなかったのです。
 だから、普通は当たり前のことが、ニュースになったのです。
 
 現代は、昔は当たり前だったことが、当たり前でなくなってきています。
 そのため、人と人の繋がりも弱くなってきています。

    秋深し 隣は何を する人ぞ

 松尾芭蕉の句です。
 隣の人が、何をしていていようが、我関せず。
 自分には、関係ない。

 そうなると、人間関係の秋も深まって、やがて冬の季節を迎えて、誰も行き来しないようになります。

 仏教には、「俱会一処」という教えがあります。
 ともに、一所に集まるという意味です。

 みんなが集まる。

 みんなが集まる場を作る。
 このことを、仏教は、私たちに求めています。

 この仏さまの教えを、聞き続けて行きたいと思います。

 今年も、どうぞ宜しくお願いします。 


平成27年元旦

 明けましておめでとうございます。
 皆さん、それぞれの正月を迎えられたことと思います。

 昨年、総務省という国の役所が、国民に調査したことがあります。

     日頃、生活していて、悩みや不安があるか?

という調査です。
 その結果、国民の2/3の人が「ある!」と答えました。
 2/3人といえば、20/30人 200/300人 2,000/3,000人、…
 日本の人口は、120,000,000人だから、国民の80,000,000人が、生活に悩みや不安を抱えていることになりまる。

     では、何が一番不安ですか?

と尋ねたところ、最も多かったのは、「老後の生活!」で、60%の人が、老後の生活が不安だと答えました。
 次に多かったのは、「健康!」で、50%の人が、健康が心配だと答えました。

 どうして、こういう結果が出たのでしょうか。

 現代という社会は、家族のつながりが弱くなって、老後の面倒を看てくれる人が少ないという現実があります。
 年をとっても、年寄りだけで生活していかねばなりません。
 そうすると、生活資金は年金だけが頼りとなります。

     これからの年金がどうなるのか心配になるのか?

と、お金のことが心配になれば、「健康」のことも心配になります。
 病気になったら、お金がかかるから、「健康」にも注意しなければなりません。
 病気にもなれません。

 しかし、年取れば、本人の気持ちとは裏腹に、病気が起こってきます。
 そういう不安が、心を苦しめます。
 そのため、安心して生きられないのです。

 「老後が心配」と答えた人が多くなった原因は、上記に加えて、宗教心が薄らいできていることにもあります。

 宗教心は、安心して死んでいける心構えをつくります。
 宗教心が薄いために、死んだらどうなるか、気になって、安心して生きられないのです。
 そのため、「老後が心配」という結果になるのです。 

 この現代の課題を解決するためには、人と人とのつながりを強くし、家族のつながり、近所同士助け合う、そういう社会を作っていくことが大事になってきます。
 それと、もう一つ、安心して死んでいける宗教心を育てることです。

 お寺の仕事は、皆さんのところへ、「宗教心」をお届けすることが仕事ですから、その努力を続けていきたいと思いますが、皆さんにおかれても、「心豊かに生きる」ことにも心を使いながら、日々の生業に励んでいただければと思うことです。

 今年も、どうか宜しくお願いいたします。  


平成16年元旦

 皆さま、明けましておめでとうございます。
 旧年中は、一方ならぬご厚情をたまわり誠にありがとうございました。

 さて、振り返り見ますれば2003年という年も明るい話題はありませんでした。イラク戦争がとうとう始まり、世界の目はイラクに釘付けになりました。残念ながら、アメリカの終戦宣言の後も続く自爆テロは少しも止むことを知りません。その戦乱の中に、日本の自衛隊員がとうとう派遣されて行きました。60年近く前に日本が放棄した戦争に、日本人が再び巻き込まれようとしています。先の大戦は、いまだ終わっていません。戦争の結果として残した対外的な諸問題が解決したわけでもなく、日本人が受けた心の傷が癒えないままの今日、世界が新たな地獄に堕ち込もうとしています。そして、昨年末にはイランの大地震で20,000人超の死者が出ているというニュースも伝わりました。人災・天災の中で人類は、右往左往しています。
 また国内では景気の回復もままならず、社会における種々の事件は、時代の濁りを象徴するかのように次々と人間の煩悩の深さを暴露しています。
 私たちは、この暗い話題の多い時代をどう生きたらよいのでしょうか。
 昨年末に話題となった馬がいました。ハルウララという高知競馬場所属の競走馬です。この馬は、これまで一度も一着になったことがなく、99連敗していました。悲願の一勝を期して臨んだ100レースでも10頭出走中9位と惨敗しましたが、多くの人が、ハルウララの負け続けても走る姿を見て、元気と勇気をもらったと語りました。結果はどうあろうと、状況がどう変わろうと、自分の使命を果たそうとして懸命に頑張る姿が人々に感動を与えました。ハルウララやこの馬を支える人たちの「負けることに負けない」強い信念に心打たれるものを感じました。
 栃平ふじという妙好人が、「釈迦弥陀は 慈悲の親です 夫です 貧乏所帯も苦にならず」という言葉を残しました。逆境にあっても、お釈迦さまの説かれた阿弥陀さまの教えを心に受け止めて居れば、苦にならないと言うのです。
 阿弥陀さまの教えは、恵まれたからといって大喜びする必要もないし、恵まれなかったからといって悲しむ必要もない、あるがままに受け止めて不足をかこつことなく、そのまま受け止めて行けば良いのだよという教えです。ジタバタしても始まりません。人間一人の力は、知れたものです。大したことは、ありません。無力な自分と覚ることができれば、楽になれます。昔の人は、その楽になった心の境地を「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて喜んだわけです。
 現代という時代は殺伐としていますが、殺伐を殺伐として受け止めていく念仏信仰の不思議に出会いたいものであります。


平成14年元旦

 皆さま、明けましておめでとうございます。

 旧年中は、ご門徒のみなさまのお力により、この極應寺を支えていただきありがとうございました。殊に昨年は、極應寺の結婚式を行うにあたり、ご門徒の方々には色々とご心配をおかけし、さらにご足労いただき、めでたく嫁を迎えることができました。まことに有り難いことでございました。
 そして、このような大きな行事を終えて、改めて思いますことは、門徒あっての寺であるということと同時に、寺に生きる者としての使命をより深めて行かねばならないということでございました。
 さて、21世紀を迎え、今年は2002年ということでございますが、昨今の社会の状況は、時代の大きなうねりの中で、どこへ流されて行くのか分からない不安を感じさせる出来事が続いております。しかしながら、このような時代は、人間の歴史を振り返りますと、何回もあったわけで、私たちの先人は、幾多の困難をくぐり抜けて、歴史を刻み、現在に至っているわけであります。そういう先人たちの残してくれた智慧には、深いものがあります。大無量寿経というお経に「少欲知足 無染恚癡」ということばが出てまいります。欲を多く起こさず、現在に満足することを知れば、「むさぼり」「いかり」「ねたむ」ことがなくなるという意味であります。このことばは、現在のような不安定で低成長の時代には、時代の精神として大切なように思われます。欲張りすぎると、最近破綻した石川銀行のようになってしまうわけです。
 このことばのように、わたしたちの先人たちは、深い智慧という財産を後世の人々に残してくださいました。特に、仏教は、この世を生き抜くための深い智慧を説いています。皆様方におかれては、この深い智慧に学び、困難な時代を生き抜いていただきたいと思うことでございます。そして、その智慧を皆様方にお伝えするのが、お寺に生きる者としての使命であることを強く思うことでございます。
 今年も、皆様方と共に仏法を学んで行きたいと思います。どうか宜しくお願いいたします。