4月のおたより
2024(令和6)年4月
【 お寺の行事 】 4月6日(土)祠堂経会 お始まり 午後1時30分 7日(日)祠堂経会 帰敬式 午後1時 お始まり 午後1時30分 役員会 午後3時 説教は、不二井悟史師(穴水町 西蓮寺住職)にお願いしました。 祠堂経会は、ご先祖をしのぶお参りです。 ご門徒の皆さんのご先祖のお経があがります。 また、帰敬式ご希望の方は、お寺までお知らせください。 震災から、まる三ヶ月経ちましたが、安らぎのない日々が続いています。 こんなときこそ仏法聴聞。 仏さまの教えに聞いてみたいものです。 お誘い合わせてお参りください。 【 行方不明 】 震災で一時行方不明になった珠洲市在住の知人の住職さんから無事を知らせる手紙が届きました。 手紙には、行方不明になった経緯が書かれてありました。 以下、その全文です。 1月1日午後4時頃、山手の集落の門徒宅で7日勤めに参りました。 読経中の午後4時10分ごろ、震度7の地震が起こりました。 家では、コロナ禍の為もあり、久々に息子一家が帰省し、家内と新年の夕食の準備をしようとしていた時でした。 山間部の道路は陥没のために車の使用ができず、途中の集落まで歩きました。しかし、途中大きながけ崩れがあり進むことができず、留守宅の玄関でロウソクを灯し一夜を明かしました。 翌朝7時頃に近くの集落に行き一息つきました。昼頃から集落の皆さん20名ほどと集会場に避難しました。 周辺は固定電話も通じず、また携帯電話の電波もなく、どこにも連絡できないまま1月5日まで過ごしました。 そのため家内が行方不明届を出しました。 5日の朝食後、その集落の区長さんはじめ5名と山道で山越えをし、隣地区の消防署まで行きました。そこから道路を歩き、途中通りがかりの方に車に乗せてもらい、その日の午後に避難所にたどり着きました。 本堂は全壊、庫裏は半壊、集会所は全壊ですが、心身ともに元気ぶっています。 今年の秋に前住職50回忌、前坊守7回忌の厳修を考えていましたが、どうなることか。 先人の「捨ててこそ得る」のお言葉をいただきながら、寺と避難所との往復の毎日です。 ○○寺 ○○○○ 励ましてくださる皆さまへ なんとかやっています! 住職さんは、津波が来た海辺の町に住んでいます。 お寺は、海から150mほどの所にありますから、テレビ・新聞の行方不明者の欄に名前が載ったのを見て、津波に巻き込まれたのかと思い、お寺へ電話しましたが、機械音で通信が切れていることを知らせるばかりで通じません。 そのうち、見つかったと知らせてくれる人がありました。 その人は、また聞きで知らせてくれたので、行方不明になった経緯までは知りませんでした。 そこでお寺へ電話しました。呼び出し音が鳴ります。電話が通じています。 しかし、どれだけ待っても、電話に出る人がいません。 それでは珠洲まで行ってみるかと思ったものの、珠洲までの道路は大渋滞のニュースばかりで、とても行けそうにありません。 様子が分からないまま、2ケ月経ちました。 3月の始めに、上記の手紙が届きました。 手紙には「心身ともに元気ぶっています」とあり、また『「捨ててこそ得る」のお言葉をいただきながら』ともあり、「なんとかやっています!」とのことばもあります。 住職さんの高ぶる心と揺れる心が記されています。 さっそく返事の手紙を書きました。 手紙には、 …ご無事であったことが、まず何よりだと思います。 ご家族の方々も、ご安心されたことと思います。 お手紙では、「心身ともに元気ぶっています」とあります。 お互いに、後期高齢者の仲間に入りましたから、呉々もご自愛ください…。 としか書けませんでした。 合掌 |
2023(令和5)年4月
【 お寺の行事 】 4月 1日(土)祠堂経会 ・お始まり 両日とも午後1時30分 2日(日)祠堂経会 ・説教 西岸正映 師(中島町田岸) ※ 期間中、「初参会」と「帰敬式」も行います。 【 花まつりのころ 】 4月8日は、お釈迦さまの誕生日です。 生まれたばかりのお釈迦さまは、立ち上がって7歩あるき、右手を上に上げ、左手を下に向けて、 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)! と宣言されたと仏典は伝えています。 この伝説にちなみ、仏教寺院では、お釈迦さまの誕生を祝うお参りをします。 誕生会(たんじょうえ)では、生まれたばかりのお釈迦さまの像に甘茶をかけることから「灌仏会(かんぶつえ)」とも言います。 お釈迦さまが生まれたとき、天の龍が感激して甘露(かんろ)を雨降らせたという仏伝にちなむものです。 また、誕生会は、桜の季節に行われることから、「花まつり」とも言います。 極應寺では、門徒宅で昨年生まれた子どもさんが初めてお寺参りする「初参会(しょざんえ)」を勤めてお祝いしています。 ところで、お釈迦さま誕生のエピソードは、あまりにも現実離れした話です。 お釈迦さまも、普通の赤ちゃんとして生まれたはずです。 なぜ、生まれたばかりの赤ちゃんが歩き出し、ことばまでしゃべったという話になったのでしょうか。 テレビ金沢の「となりのテレ金ちゃん」という番組の中に「めばえ」というコーナーがあります。 石川県内で、生まれて3ケ月以内の赤ちゃんが親御さんと一緒に出演します。 映像とともに流される主題歌「誕生日」は、 ♪ ありがとう 理由はなにもないんだよ あなたという人がいることでいいんだよ… で始まります。 歌っているのは、熊木杏里というシンガーソングライターで、子どもさんも居ますから、自らの出産と子育ての経験から生まれた歌だと思われます。 歌には、所帯じみた感じはまったくありません。 出産、子育ての苦労はどの親にもあるはずですが、苦労に引きずられない清らかな心境が歌われているような印象があります。 番組は、この主題歌とともに進みますから、 この親子たちも、色々な苦労を乗りこえて行くんだろうな! と、他人事ながら応援したくなるような気持ちにさせるのは、主題歌のせいかも知れません。 「誕生日」は、 ♪ おめでとう 奇跡があなたなんだよ 暗闇に灯っている火のように ありがとう 手のひらを合わせられるのは あなたがこうしてここにいるからなんだよ… と続きます。 子どもの誕生は、親にとって特別なことです。 「となりのテレ金ちゃん」に出演するお母さんや、お父さんまで、 生まれたときは、涙が出ました! と、子をさずかった感動を隠そうとしない喜びのことばを語っています。 生まれたばかりの赤ちゃんは、手足をバタつかせて、「オギャー! オギャー!」と泣きます。 あふれるばかりの生命力の躍動は、どの親の目にも、今にも歩き出しそうに見えます。 「オギャー! オギャー!」の泣き声は、どの親の耳にも、「天上天下唯我独尊!」と宣言しているように聞こえます。 この親の感動を、想像力豊かなインド人が、お釈迦さま誕生のエピソードに作り上げたものと思われます。 【 能登の天気は? 】 白山市の松任に明達寺(みょうたつじ)があります。 かつて暁烏敏(あけがらすはや)という住職さんがいました。 2月のことです。 今日は、冬にもかかわらず春を思わせるような良い天気です。 能登からお客さんがありました。 暁烏 能登のほうのお天気はどうでしたか? と尋ねたところ、 能登の人 いや先生! 今でこそ良い天気ですが、去年の秋は天気が悪く田んぼ仕事がはかどらず往生しました! と言います。側にいた金沢の人は、 金沢の人 今、こんな良い天気なら、お彼岸のころにゃ雪が降ったりせんかのぉ! と言いました。 暁烏さんは、今日の天気のことを聞いているのに、尋ねられた人は、過ぎたことを愚痴ったり、先のことを心配する人がいて、心があっち行ったり、こっち行ったり、置き所が定まりません。 心が、定まらないから、今日の良い天気を喜べないのです。 合掌 |
2022(令和4)年4月
【 お寺の行事 】 4月2日(土)祠堂経会 3日(日)祠堂経会 ・お始まり 両日とも、13:30 ・説 教 大橋友啓 師(田鶴浜 得源寺住職) ※3日は、誕生児の初参りも勤めます。 「祠堂経会」は、皆さんのご先祖のお経があがります。 お誘い合わせてお参りください。 [誕生児の初参り]とは 4月1日は親鸞聖人、8日はお釈迦さまの誕生日です。 これにちなんで、極應寺では、ご門徒宅で誕生した0歳児から1歳児までのお子さんに、 祠堂経期間中、お寺参りしていただいています。 子どもさんにとって初めてのお寺参りですから、「初参り」と言い習わしています。 仏さまに誕生を報告し、仏さまから祝福してもらう意味があります。 【 無名戦士の言葉 】 今から160年前、アメリカで内戦が起こりました。 アメリカ北部の州と南部の州が対立して起こったことから、「南北戦争」と呼ばれています。 戦争は北軍の勝利で終わりましたが、多くの死者・負傷者がでました。 敗れた南軍の兵士が、負傷して入院加養中に書いたと伝えられる詩があります。 「無名戦士の言葉」です。 「言葉」は箇条書きになっています。 ・大きなことを成し遂げるために 強さを求めたのに 謙遜を学ぶようにと「弱さ」を授かった ・偉大なことができるようにと 健康を求めたのに より良きことをするようにと「病気」を賜った ・幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと 「貧困」を授かった ・世の人々の称賛を得ようと 成功を求めたのに 得意にならないようにと 「失敗」を授かった ・人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに あらゆるものを「慈しむ」ために 人生を賜った ・求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた 私は もっとも豊かに祝福された 無名戦士は、負傷したことで、今までの考えがガラッと変わりました。 「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」は、誰もなりたいと思わないし、したいとも思っていません。 無名戦士も、負傷する前まではそうでした。 それらはすべて他人事でした。 しかし、「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」が現実となり、受け入れざるを得なくなったとき、 神さまからの恵みだ! とさとったのです。 戦士は、このことを「授かった」「賜った」「祝福された」と表現しました。 かつて、赤塚不二夫という天才と評判された漫画家がいました。 「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」や「天才バカボン」で一世を風靡しました。 インタビューで、 自分が最低だと思っていればいい! そしたら、みんなの言っていることが、ちゃんと頭に入ってくる。 自分が偉いと思っていると、人は何も言ってくれない。 自分がいちばんバカになればいいのだ! と語っています。 無名戦士が伝えたかったことは、誰も欲しがらない「最低」の状態を神さまの恵みと受け入れることができれば、一番強くて自由になれるのだということです。 【 平穏でないと! 】 来年の4月、東本願寺で「親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が行われます。全国から、約6万人のご門徒がお参りされます。 能登からも団体参拝を予定していますが、東本願寺は、コロナ感染が収まらないときは法要は中止と決めています。 旅行社と打ち合わせ中、コロナ感染が話題になったとき、担当者が、 僕らの仕事は、世の中が平和でないと成り立たないのです! と言いました。 そのとき、親鸞聖人が、 世の中安穏なれ、仏法ひろまれ! と手紙に書いたことばを思い出しました。 感染症流行もなく、戦争もない社会は人類の永遠の願いです。 合掌 |
2021(令和3)年4月
【 お寺の行事 】 4月3日(土)祠堂経会 お始まり 13:30 両日とも 4日(日)祠堂経会 布教 西岸正映 師(田岸 常光寺住職) 皆さんのご先祖のお経があがります。 お誘い合わせてお参りください。 【 執着 】 新年度が始まりました。 新入学、新社会人。 子どもたち、若者たちは、希望に胸ふくらませて新しい旅立ちの季節を迎えます。 会社、官公庁なども新しい年度がスタートします。 また、春の農作業も本格化します。 こんな時期、ちょっと自分の運勢を占ってみるのも一興かと思います。 新聞各紙は、「占い」欄を設けています。 中日新聞は、テレビ番組欄の下に「運勢」欄があります。 占った人の名前も書いてあります。 松風庵主。 どんな人なのか? 興味を持った人が調べてみましたが、新聞社も教えてくれないため分からなかったそうです。 どんな人が占ったか分からないほうが、占いに値打ちがあるということなのかも知れません。 なぞの人です。 「庵主」という名からして、お坊さん、それも女性のお坊さんをイメージします。 宗派からいえば、禅宗あたりの尼僧さんでしょうか。 「松風」という名乗りから、世俗を離れた庵で、また街の中に住んでいても世俗を離れた心で、仏さまに奉仕しながら修行されている姿が想像されます。 世俗から距離をおいて世間をながめれば、人間のことがよく見えるのです。 「運勢」欄の干支占いは、占いというより、教訓・戒めであったり、励まし・希望を感じされるものが多いようです。 3月16日の朝刊に載った「運勢」です。 ☆ね年…悪罵の毒を甘露の水を飲むようにする人に災難なし。 ☆うし年…果物をいただきたるが虫のいる意(こころ)。上辺よくとも内実悪し。 ☆とら年…自分が自分に執着するを迷いという。甘え心を捨て去って吉。 ☆う年…驕る心は誰しもあると許せる人に大吉運あり。 ☆たつ年…現実と理想が別々になりては魔が入り易い。 ☆み年…生かされていると一日を尊ぶ心こそ大富長者の心なり。 ☆うま年…誰も明日を知らず。勇気をもって先駆者となり明日を駆けて吉。 ☆ひつじ年…見た目ではなく心なるが、異臭すれば他を害し我も害す。多少気を遣って良し。 ☆さる年…憂いの雲が速やかに離散する象(きざし)。吉運自ずから到来する。 ☆とり年…虫を鳥が狙い、鳥を猫が狙う。背後に注意せよ。 ☆いぬ年…灰の埋もれ火が後に大火となる。小さな噂話に関わるな。 ☆い年…柔らかな絵を描くには経験が必要。人心も柔らかくなるには訓練が必要。 (松風庵主) どの占いも、「なるほど!」と思わせる含蓄の深いものばかりです。 仏教の教えがベースになっているからでしょうか。 たとえば、 ☆とら年…自分が自分に執着するを迷いという。甘え心を捨て去って吉。 などは、禅の究極のさとりを説いた説法そのものです。 昔、インドに「三かく長者」と渾名(あだな)された金持ちがいました。 「三かく」とは、「恥かく、義理かく、欲かく」です。 長者は、恥を掻き、義理も欠き、欲張ってお金を儲け巨億の富を築きました。 しかし、晩年になって気づきました。 せっかく貯めたお金も、持って逝けない! あぁ、思えば、つまらん人生だった! と反省した長者は、息子たちに遺言しました。 オレの葬式は、棺の両脇に穴を開けて、手を出してくれ! どれだけ稼いでも、一銭も持って逝けないことを皆に知ってもらいたいのだ! 息子たちは、父親に言われたとおりにしました。 葬式に集まった人たちは、棺から出ている手を見て、 あれほど金を集めても、まだ足りず、もっと欲しいと手を出している! と陰口したそうです。 長者の平生が平生だっただけに、真意が人々に伝わりませんでした。 合掌! |
令和2年4月
お知らせ!! 恒例の「祠堂経会」は、今年は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、本堂での読経はありますが、お参りは自粛下さるようお願いします。 なお、帰敬式を受けられる方、祠堂を上げられる方、初参りされる方は、少数なので、この限りではありません。 【 月とうさぎ 】 お釈迦さまの誕生日は、4月8日です。 これにちなんで、仏教各派ではお釈迦さまの誕生を祝う「降誕会(ごうたんえ)」を勤めます。 極應寺では、前年に生まれた子どもさんにお寺参りしてもらい、仏さまに誕生を報告するとともに、仏さまから誕生を祝ってもらう「初参会(しょざんえ)」を勤めています。 仏典では、お釈迦さまが、この世に出られたのは、たった1回だけではないと説かれます。 …往来娑婆八千遍(おうらいしゃばはっせんべん) 『梵網経』 お釈迦さまは、生まれ変わりをくり返し、人間世界に8,000回も出られました。 私たち衆生の苦しみは、救っても救っても切りがないからです。 しかし、寿命には限りがあります。 このため、お釈迦さまは、何度も生まれ変わって、この世にお出ましくださいました。 では、お釈迦さまは、次に生まれるまで何をされていたのでしょうか。 次も人間に生まれ出る準備をしていたのです。 『ジャータカ』という物語があります。 お釈迦さまの前世を伝える物語です。 その中に「月とうさぎ」の話があります。 童謡「うさぎ」は、 ♪うさぎ うさぎ なに見て はねる 十五夜 お月さま 見て はねる♪ と歌われるように、月とうさぎの関係にはいわれがあります。 昔、うさぎ・狐・猿の仲良し3匹がありました。 3匹は、 オレたちが動物に生まれたのは、前世の行いが悪かったためだ。 次の世は人間に生まれたい。 徳を積もう! と相談しました。 この様子を、空から帝釈天が見ていました。 あの者たちが、本気かどうか試してやろう! と、あわれな老人の姿となって3匹の前に現れました。 3匹は、老人の世話をすることにしました。 猿は木に登って、栗・柿・梨など山の幸、狐はアワビ・鰹など海の幸を採ってきて老人に食べさせました。 しかし、うさぎは、外に出れば敵ばかり。獣に追われ、人間に見つかれば捕まえられ食べられてしまいます。おちおち出歩けません。 自分の食べ物さえやっとのことで、老人に食べさせる物は、とてもとても、手に入れることができませんでした。 そこで一計を案じました。 狐・猿・老人に、 私は、これから食べ物をさがして来ます。 火を焚いて待っていてください! と言い残して出かけました。 しばらくして帰って来たうさぎは、何も持っていません。 狐・猿・老人は、うさぎをなじりました。 どうした? 何も持ってないじゃないか! うさぎは、 私には、食べ物を求めるすべがありません。 私の身を焼いて、私の肉を差し上げます! と言って火の中に飛び込み、焼け死んでしまいました。 このとき、老人は帝釈天の姿にもどり、 このうさぎの姿を月に移して、すべての人に見てもらうことにしよう! と月の中にうさぎの形を残しました。 今、私たちが眺める月に、雲のようなものが見えますが、あれは、うさぎが焼けたときの煙です。 また、月の中にうさぎがいると言われるのは、火に飛び込んで焼け死んだウサギの姿です。 日本では、いつの頃からか、うさぎが餅つきしていると言われるようになりました。老人に食べてもらう餅をついているのかもしれません。 「ジャータカ物語」には、ほかに、自分の目を盲目の人に布施した王さまの話や、泥沼にはまって身動きできなくなったライオンを助けた山犬の話などがあります。 どの話も、「慈悲の心」を物語っています。 「ジャータカ物語」は、古人の豊かな想像力と創造力を駆使した物語で、仏教精神を今に伝えてくれています。 合掌 |
平成31年4月
【 お寺の行事 】 4月 6日(土) 祠堂経会 説教(両日とも) 7日(日) 祠堂経会 西岸正映 師(田岸 常光寺 住職) 4月28日(日) 親鸞聖人ご命日 お誘い合わせてお参り下さい。 【 来し方、行く末 】 4月1日は、親鸞聖人がお生まれになった日です。 伝記によれば、 母親の吉光女が、うつらうつらと居眠りしている夢に、西の方から金色の光が差してきて、吉光女の周りを三回巡ったかと思うと、口の中へ「スーッ!」と入ってきたので、驚いて西の方を見ると観音菩薩が立っていた。 このとき、吉光女は懐妊。 生まれたお子が、親鸞聖人である。 と語られています。 古来、偉人の誕生は、奇瑞をもって語られました。 お釈迦さま誕生のとき、母親のマヤ夫人は、白象に乗った天子が夫人の右の脇から入る夢を見ました。 また、聖徳太子の誕生は、母である間人皇女(はしひとのひめみこ)の夢に、金色の僧が現れ、 僧 私は、汝の胎内を、しばらく借りたい! 母 穢れの凡身の身に、どうして尊体を宿すことが出来ましょうや! 僧 私は、穢れは厭(いと)わない。 人間界に生まれて、衆生を済度せんと思う! と、母の口に飛び込んだかと思うと妊(みごも)って、聖徳太子が誕生したと伝えられています。 実際にはありもしない話が、どうして作られたのでしょうか? 『涅槃経』というお経に、 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) という教えがあります。 「一切衆生悉有仏性」とは、「人間は、誰でも仏さまのいのちを宿している」という意味です。 この教えを、物語で表したのが偉人の誕生話です。 「一切衆生悉有仏性」は、仏教の基本的な立場です。 仏さまの眼は、つねに、私たちが宿す「仏さまのいのち」に向けられています。 私たちの「仏さまのいのち」に語りかけて下さっている教えが仏教です。 そして、やがて「仏さまのいのち」を宿した命も尽きる時が来ます。 命尽きるときも、奇瑞譚(たん)が語られました。 親鸞聖人の師匠、法然上人が亡くなられるとき、お住まいの上空に、「紫雲」がたなびいているのを何人もの人が見ました。 「紫雲」とは「むらさきの雲」のことで、阿弥陀仏が極楽往生する念仏者を迎えに来るとき乗って来る雲のことです。 伝記では、この紫の雲は、遠くの別の場所からでも見えたと伝えています。 さらに、親鸞聖人は、法然上人ご往生の様子を、紫の雲がたなびいたばかりでなく、天からは哀しくも雅やかな音楽が聞こえ、辺りには、何とも言えない芳しい香りがただよったと記しています。 このような話は、現代という時代を生きる人たちにとって、荒唐無稽な話と思われるかも知れません。 しかし、昔の人は、これらの話を聞いて、我が「来し方、行く末」を思い、心の平安を保って生きました。 人は仏さまの命を宿して生まれ、 やがて仏さまに迎えられ仏国に還る! 昔の人は、「生と死」の心の物語を持っていたのです。 【 天啓 】 「平成」の時代もあとわずかとなった今、「平成」という時代を振り返る企画が、さまざまに行われています。 新聞(北陸中日)に「天皇とわたし」という連載があります。 旧中島町の宮下勲さんの「天皇とわたし」の記事です。 平成8年に珠洲市で開催された「全国豊かな海づくり大会」に行幸された天皇が、途中、旧中島町の「お祭り会館」に立ち寄られました。 その案内をしたのが宮下さんです。 天皇は、宮下さんと町長の案内で会館を見学した後、応接室で休憩されました。 そのとき、宮下さんは、町長といっしょに応接室に呼ばれました。 天皇は、緊張して立っている宮下さんと町長に、おだやかな口調で、 祭りの継承のために頑張ってください! 伝統を守るのは大切なことです! と、声をかけてくださいました。 この天皇のおことばを聞いた宮下さんは、「天啓にうたれた」ような感動を覚えました。 まさに、天の声を聞いたように思ったそうです。 このおことばから20余年、中島では、毎年9月20日、「お熊甲まつり」が盛大に行われ、天皇のおことばを今に継承しています。 「天啓にうたれる」とは、このようなことを言うのでしょう。 私たちは、「南無阿弥陀仏!」という天啓にも等しい阿弥陀仏のおことばをいただいています。 しかし、念仏の声が聞こえないのは、どうしたことでしょうか。 合掌 |
平成30年4月
【 お寺の行事 】 4月 7日(土)祠堂経会 両日とも、午後1時半より勤めます 8日(日)祠堂経会 説教は、大橋友啓 師(田鶴浜 得源寺住職) (8日は、午後1時から「誕生児初参会」も勤めます) 4月28日(土) お講 午前8時 お誘い合わせてお参り下さい。 【 蓮のタネ 】 東日本大震災から7年が経ちました。 あのとき発言した自分のことばを、心の重荷に感じている人がいます。 柏原竜二さん(28歳)です。 柏原さんは、大学駅伝で活躍しました。 震災は、大学3年生の時でした。 4年生の箱根駅伝で、区間賞を獲ったあとのインタビューで、 僕が苦しいのは1時間ちょっと。 福島の人たちに比べたら、全然苦しくない。 走りで元気を与えられれば本当にうれしい! と答えました。 このことばが、大学を卒業した今も、心に引っかかっています。 別の言い方がなかったのか? 「比べたら」と言った時点で、自分が優位に立っている。 もっと優しい言い方があったはず。 配慮が足りなかった! と、あのときの自分のことばに、いまだ納得していません。 柏原さんは、福島県いわき市の出身です。 いわき市では、300人以上が亡くなり、柏原さんの実家も被災しました。 自身も被災者でありながら、「福島の人たちに比べたら」と言ってしまった自分を後悔しているのです。 柏原さんは、心の奥深くにある、人を見下げる心に、自身が傷つけられながらも、地元の復興に向けて、色々な活動やイベントに参加しています。 自分が優位に立ち、人を見下す心は、誰でも持っています。 『百座説法聞書抄』にある話です。 孫居という男がいました。 孫居は、仏法を信ずることなく造悪無善の男でした。 ある日、ひとりの沙門が、孫居の家の前に立ち、法華経を読み、布施を頼みます。 孫居は、沙門をバカにして、あざけり笑いながら、沙門の読経に合わせて、口をひんまげて、「妙法蓮華経!」と言いました。 沙門は、バカにされても、布施を頼みます。 これに腹を立てた孫居は、「この乞食坊主野郎、とっとと消えうせろ!」と、杖で、沙門を叩きました。 たまらず、沙門は逃げ出しました。 年移り変わり、孫居は死にます。 当然のこととして、地獄に堕ちます。 地獄の取り調べの時、 私は、「娑婆にいたとき、「妙法蓮華経!」と、一回唱えたことがあります! と答えました。 これを聞いた閻魔大王は驚いて、 孫居は、悪人と聞いていたが、きわめたる善人ではないか。 嘘でも誠でも、「妙法蓮華経」と唱えた者を、地獄に堕とすわけにはいかぬ。 お前は、すぐ娑婆へ帰って、『法華経』の教えを守りなさい! と言われて、生き返ったという話です。 仏さまは、私たち衆生を救うために、日々、心を砕いておられます。 しかし、私たちの心の中には、救いに値するタネがほとんどないことを、この話は伝えています。 相手をバカにして、口をひがめて言った仏語でもタネにしなければ、救いの手がかりがない私たち。 衆生の心の泥の中に、蓮の花のタネがないか捜してくださっている仏さまのご苦労を、ちょっとでも考えて見たいものです。 【 居眠り 】 『徒然草』を書いた吉田兼好が、上賀茂神社の競馬(くらべうま)見物に行ったときのことです。 その日は、たくさんの見物人で、ごった返していました。 後ろの方では、見えません。 埒(らち)の際まで行こうとしますが、人が多くて、前に進めません。 そんな中、馬場の向かいに立っている大きな木に登って、木の股に腰掛けて見物している男がいます。 ところが、この男は、「こっくり、こっくり」、居眠りしています。 「こっくり」した拍子に、木から落ちそうになりますが、「はっ!」と目を覚まして、元の姿勢に戻ります。 戻ったかと思ったら、また「こっくり」して、落ちそうになり、目を覚まして元に戻ります。 これを、何度も繰り返すので、見物の人たちは、 よくも、あんな木の上で眠れるもんだ! と笑い合っています。 吉田兼好は、笑っている人たちに向かって、 死が、今すぐ来るかも知れないのに、それを忘れて見物して日暮らす愚かさは、あの男にも勝るぞ! と言ったら、笑っていた人たちは、 まことに、その通り愚かなことでございます。さあ、こっちへどうぞ! と言って、前の方へ出してくれました。 思いがけない所で、思いがけず、的を射たことばに出遇った人たちが、見物席を譲ってくれたのです。 おかげで、吉田兼好は、ゆっくり競馬を見物することができました。 合掌 |
平成29年4月
【 お寺の行事 】 4月 1日(土) 祠堂経会 説教 芳野廣照 師(牛ケ首 願行寺) 2日(日) 13:30 子どもさんの初参りは、2日(日)13:00時から勤めます。 4月16日(日) お 講 08:00 おつとめ 09:00 おとき 当番 福島(そうざ)組 お誘い合わせてお参り下さい。 【 超える 】 4月8日は、お釈迦さまの誕生日です。 仏教寺院では、昔から、降誕会(ごうたんえ)とか、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭(はなまつり)などという行事をして、お釈迦さまの誕生を祝ってきました。 ある寺院では、誕生仏に甘茶をかけたり、また、子どもたちが、大きな白象の模型を市中に引き回すパレードをする寺院もあります。 極應寺では、祠堂経会期間中に、昨年生まれた子どもさんに、「初参会(しょざんえ)」−初参りをしていただき、子どもさんの誕生を祝うお参りを行っています。 お釈迦さまは、生まれてすぐ立ち上がって、7歩歩かれたと伝えられています。 生まれてすぐの赤ちゃんが、歩くことはありません。 あり得ない話です。 しかし、こんな話ができたのには、訳があります。 6+1=7です。 6は、仏教で説くところの「六道」を意味します。 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの「迷いの世界」です。 私たちが、住んでいる世界のことです。 6に1を加えたら7です。7は、「迷いを超えた世界」です。 その世界を、「涅槃(ねはん)」とか「安楽(あんらく)」、「真如(しんにょ)」などと言います。 「さとりの世界」のことです。 迷いの世界を超えて、さとりの世界を開く。 これが、人として生まれたものの目指すべき目標であることを、「7歩」が意味しています。 「7」の世界を目指す歩みは、生まれてからすぐ始まります。 このことを象徴的に伝えるのが、お釈迦さま誕生のエピソードです。 問題は、どうしたら「六道」を超えられるかということです。 「とんちの一休さん」で有名な一休宗純和尚は、機転の利くお坊さんでした。 とっさの機知から出てくることばは、そのままが説法になりました。 この一休さんも、教えるだけでなく、時には、教えられることもありました。 ある年の暮れ。 京の賀茂川の河原を歩いていました。 寒い冬なのに、着るものもなく、真っ裸で寝ている乞食がいました。 何とも可哀想なやつだ! と思った一休さんは、着ていた小袖を脱いで、乞食にやりました。 小袖をもらった乞食は、袖を通して、嬉しそうなようすもなく、なにくわぬ顔をしています。 一休和尚は、 さてさて、変わった乞食だ。 一銭でもお金をもらったら、お辞儀をして拝むの が乞食のならいだが、喜ぶようすもない。 お前は、嬉しくないのか? と尋ねたところ、乞食は、 お前は、坊主のくせして、オレに小袖をやって、嬉しくないのか? との返事です。一休和尚は、 しまった! これは、オレが間違った。 人に「ほどこし」をしておりながら、「布施」の心を忘れていた。 この乞食は、ただ者ではない! と、瞑目して頭を下げ、乞食を拝みました。 目を開けて頭を上げると、すでに乞食はおらず、小袖だけが残っていました。 私たちにも、「オレが、してやった!」という思いが、どこかにあります。 これでは、「六道」は超えられないのです。 【 赦す 】 旧日本陸軍少尉、小野田寛郎さんは、戦争が終わってからも、29年間、連合国軍の侵攻を防ぐため、フィリピンのルバング島のジャングルに潜んでいました。 その間、ジャングルに入って来る現地の人を銃撃して、森から追い出しました。 カナロスさんの父親は、銃撃されて死亡しました。 カナロスさんは、小野田さんを憎みました。 そして、見つけたら殺してやろうと機会を狙っていました。 小野田さん捜索隊の一員に加わったこともあります。 しかし、復讐の機会はありませんでした。 機会のないまま、小野田さんは救出され、日本に帰ってしまいました。 カナロスさんは、小野田さんを怨み続けました。 しかし、あれから、40年。 今になって思うことは、 もう、私は小野田を赦そうと思います。 そして、私が小野田に抱いた罪深い思いに、赦しを乞いたいと思います。 私だって、罪を犯しかねません。誰もが、例外ではないのです! と、カナロスさんは語っています。 私たちは、野菜や肉の命を奪うことに赦しを乞わないまま食べています。 せめて、「いただきます!」と言って食べる。 「いただきます!」が、食物に赦しを乞う感謝のことばです。 合掌 |
平成28年4月
【 お寺の行事 】 4月 1日(金) 祠堂経会 2日(土) 布教使 矢口泰淳師(末吉 光念寺住職) 3日(日) 3日間とも 4月 9日(土) お講 08:00 お勤め 09:00 お斎 当番 道辻組 皆さん、お揃いでお参り下さい。 ♪ふるさと♪ 3月で志賀町内の7つの小学校が閉校し、新しい統合小学校「志賀小学校」が誕生しました。 土田小学校の閉校記念式では、式の最後に、全員で♪ふるさと♪を歌いました。 1.兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷 2.如何にいます父母 恙なしや友がき …… ♪ふるさと♪は、大正3年、小学校の子どもたち向けの唱歌として作られました。 作られた時代が時代ですから、歌詞は現代語調ではなく、昔風の文語調になっています。 大正、昭和、平成と歌い継がれているうちに、時代が変わり、それとともに、言葉遣いも変わってきたため、今では、歌詞の意味を理解する子が少なくなってしまいました。 たとえば、「兎追ひし」を、兎を捕まえて食べたら美味しかったという意味に取り違えたり、「彼の山」や「彼の川」は、蚊がたくさんいる山や川と誤解されたりします。♪ふるさと♪は、現代の子どもたちの心に届かない歌になりました。 3題目の歌詞が、 志を果たして いつの日にか歸らん 山は青き故郷 水は清き故郷 となっています。 この歌は、都会へ出た若者が、やがて立身出世を果たし、いつの日か古里へ錦を飾りたいと思いながら詠んだ歌であることが分かります。 いつかは、古里へ帰りたい! 古里を離れて暮らす人ならば、誰でも抱く望郷の念ではないでしょうか。 中国の詩人、陶淵明(とうえんめい)には、「帰去来の辞」という詩があります。 歸去來兮 帰りなん、いざ 田園將蕪胡不歸 田園、まさに荒れなんとす、なんぞ帰らざる … … 陶淵明は、役人生活に嫌気がさして、古里へ帰りました。 また、石川県が生んだ詩人、室生犀星は、 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ … と詠み、古里へ帰りませんでした。 古里へ、帰る人もいれば、帰らない人もいます。 帰っても帰らなくても、古里は、人の心から離れることはありません。 そして、私たちには、古里に住んでいても、離れて住んでも、帰るべき「ふるさと」があります。 その「ふるさと」は、心の中から、「帰って来い!」と、私を呼んでいます。 外からの音ばかりでなく、心の中の「ふるさと」の声にも耳を傾けたいものです。 【 笑顔 】 人は、さまざまな笑顔を持っています。 大笑−おおいに笑う 苦笑−にが笑い 嘲笑−あざ笑う 嬉笑−よろこび笑う 冷笑−さげすんで笑う 「微笑」という笑顔もあります。 経典の中にも、「微笑」が説かれます。 阿弥陀仏の所へ、たくさんの菩薩たちが教えを聞きに来ました。 それを見た阿弥陀仏は「微笑」します。 このことを不審に思った観音菩薩は、阿弥陀仏に、なぜ笑ったのか尋ねます。 阿弥陀仏は、 お前たちの心が、殊勝だからだ! と答えます。 仏さまでも笑います。 月も笑います。 花も笑います。 月や花が笑って見えるのは、私の心が殊勝だからです。 合掌 |
平成27年4月
【 お寺の行事 】 4月 3日(金)〜5日(日) 永代祠堂経会 説教 3日(金)松下文映師 往還寺 珠洲市 4日(土)勝見了映師 栄通寺 羽咋市 5日(日)奥村文秀師 本乗寺 かほく市 ※5日は、誕生児の初参りも勤めます。 4月12日(日) お講 午前8時 お勤め 9時 おとき 当番 谷口組 みなさんお誘い合わせてお参りください。 【 おばあさんの新聞 】 岩國哲人(79歳)さんは、大阪に生まれ、小学1年生のとき、お父さんが亡くなったことで、お母さんの実家のある島根県で、子供時代を過ごしました。 大学卒業後、金融界へ入り、後に政界にも進出し、引退後も政界との関係を保ちつつ、現在も、日本経済発展のため活躍されています。 岩國さんは、昨年、日本新聞協会が主催した「新聞配達に関するエッセーコンテスト」に応募し、最優秀賞に選ばれました。 タイトルは「おばあさんの新聞」。 その作品が公表されました。 『おばあさんの新聞』 岩國哲人 1942年(昭和17年)に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は、私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。 その後、母と2歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。 小学5年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。 日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝、40軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。 学校が終われば、母と畑仕事。 そして私の家では、新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。 おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ!」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。 そのおばあさんが、3年後に亡くなられ、中学3年の私も葬儀に伺いました。 隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。 涙が止まりませんでした。 「正信偈」の中に、「…大悲無倦常照我…」(阿弥陀仏の大悲の光りは、飽きることなく、この私を照らし続けていてくださる)とあります。 私たちは、光りに照らされておりながら、そのことに気づかず生きています。 光りは、自分の手柄をたてるために照らすのではありません。 照らす自分に気づいて欲しいと思って照らすのでもありません。 ただひたすら願っているだけなのです。 光に照らされて、願われて生きるのが私たちなのです。 【 偽薬(ぎやく) 】 「人」の「為」と書いて、「偽」という漢字になります。 「偽(にせ)もの」であっても、人のためになることがあります。 兵庫県に「プラセボ製薬」という会社があります。 この会社は、「薬としての効能は一切ありません!」と公言して、偽薬を製造販売しています。 「偽薬」とは、薬効成分を含まない本物の薬に似せた薬のことです。 会社の名前は、「製薬」ですが、取り扱っているのは、デンプンなどの成分を含む錠剤のような形をした食品です。 容器も、茶色い薬瓶そっくりのものが使われています。 なぜ、こんなものが作られるようになったのでしょうか。 偽薬の製造は、医学の分野から発想されました。 病気によっては、偽薬を「薬だ!」と言って処方した方が、病気の治りが早かったという事例がみられるようになったからです。 薬には、必ず副作用があります。 本物の薬を飲んで、副作用が起こると、副作用から回復する対応も考えねばなりません。 その場合、病気からの回復に時間がかかってしまいます。 それよりも、偽薬を服用して、副作用もなく、しかも本物の薬よりも早く病気が治るのであれば、偽薬の方が、患者さんの体への負担は、はるかに軽くなります。 この、偽薬の効果が、注目されるようになりました。 また、偽薬の利用は、たとえば認知症の患者の薬の飲み過ぎ予防や、子供が錠剤を飲む練習用などに、その用途が、幅広く考えられているようです。 「嘘も方便」ということばがあります。 たとえ嘘であっても、真実にみちびく手立てとなるという意味です。 たとえ偽薬であっても、病気を治す効果があります。 人間の体とは、実に不思議なものです。 「偽」であっても、役に立つことがあるのです。 世の中には、無駄なものはひとつもありません。 人は、「善だ」「悪だ」と言いますが、善も悪も、みな善になるはたらきを含んでいるのです。 合掌 |
平成26年4月
【 お寺の行事 】 4月4日(金)〜6日(日)の3日間 祠堂経会 説教 大橋友啓師(田鶴浜得源寺住職) 5日(土)は、聖徳太子絵像の御移徙法要 6日(日)は、初参会も勤めます。 4月19日(土) お講 8時 お勤め 9時 おとき 当番 谷川・石川組 ご家族みなさん連れ立ってお参りください。 【 聖徳太子尊像寄進 】 四蔵茂雄さんから、聖徳太子尊像の寄進がありました。 本堂仏間の左側に奉懸し、来る4月5日に御移徙法要を謹修する予定です。 聖徳太子は、今から1440年前、用明天皇の第二皇子として生まれました。 皇太子になりましたが天皇になることなく、推古天皇の政治をひたすら補佐し、数々の業績を残したことはよく知られています。 優れた頭脳を持っていたことから、多くの伝説も生まれました。 『上宮聖徳法王帝説 』という太子の伝記には、 …幼少なるに聡敏なり。智あり。長大の時に至りては、一時に八人の曰言を聞きて、その理を弁ず。又、一を聞き八を智るゆへに号して厩戸豊聡八耳命と曰う。… あるとき、太子のところへ8人の陳情者がやってきて、一斉に我先にしゃべりだした話を、太子は細大漏らさず聞き取り、1人1人に的確な答えを返したり、1を聞いて10を知るほどの知力があったことなどから厩戸豊聡八耳命と呼ばれたとあります。 また、未来のことを予測する能力があったとか、神馬に乗って富士山を飛び越えたという伝説まで残っています。 聖徳太子は、十七条憲法を制定しました。 一に曰わく、和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。… 二に曰わく、篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、… 十七条憲法は、平和憲法であり、平和を実現するためには仏教が必要であると考えた太子は、政治家でありながら仏典の研究を行い、それを講義するとともに著作も残しました。 さらに、法隆寺(斑鳩寺)や斑鳩寺(播磨)を建立し、大阪市天王寺区には四天王寺を建てました。 四天王寺には、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つの四箇院を置き、経典研究のほか、社会福祉活動も行いました。 この聖徳太子を殊に敬愛したのが親鸞聖人でした。 比叡山20年の修行を経て山を下りた聖人が、念仏門に帰依するきっかけとなったのは、六角堂参籠中に見た聖徳太子の夢のお告げでした。 親鸞聖人は、 和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ と太子を褒め称えられました。 聖徳太子が日本に仏教を広めなければ、今日の日本仏教はなかったのです。 このことから、真宗寺院では太子の尊像を奉懸し、そのお徳を奉讃することとしているのです。 【 現代の「白骨のお文」 】 ビートたけし(本名・北野武)さんは、コメディアン、司会者、小説家、エッセイスト、映画監督など、さまざまな肩書きを持っています。 それだけ多彩な能力を持った人なのでしょう。 ビートたけしさんは、かつて酒気帯びでバイクを運転し、自損事故を起こし、重傷を負ったことがあります。 一命は取り留めましたが、さまよう死線から生還したたけしさんには後遺症が残り、そのまま芸能活動を続けていますが、この事故で人生観が大きく変わりました。 3年前の東日本大震災の時、週刊誌のインタビューに次のように答えています。 …常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。 本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。 人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。… 蓮如聖人は、念仏の教えを広めるために、門徒の人たちに手紙を書きました。 それが、「お文」です。 その中に「白骨のお文」(お勤めの赤本67頁)と言われている一文があります。 ビートたけしさんのことばは、まさに現代の「白骨のお文」です。 合掌 |
平成25年4月
【 お寺の行事 】 4月13日(土) お講 8時 お勤め 9時 おとき 当番 石川組 ご家族みなさん連れ立ってお参りください。 【 四食 】 仏さまの教えに「四食(しじき)」という教えがあります。 四食とは、「段食・触食・思食・識食」という4つの食べ物のことです。 段食とは、米や野菜・肉など、私たちの命を生かす食料のことです。 触食とは、私たちを喜ばせ、楽しませ、笑いなどの感動を与えてくれるもののことで、たとえば優しい心に触れたり、うれしい出来事に出会うことが、心の栄養になります。 思食とは希望や夢などのことで、夢や希望を持つことは、生きる励みになります。 識食とは、宗教のことで、私たちの心の支えとなり、正しい道を歩む力になってくれます。 この四食を過不足なく保つことが大切だと説かれています。 戦後、日本人の食生活は大きく変わりました。 上の写真を見れば、50年前の食卓と現在の食卓の違いがよく分かります。 50年前の食卓は、ちゃぶ台の真ん中におひつがあります。 ご飯中心の食事でした。 現在の食卓は、小麦で作った食べ物が食卓を賑わせています。 小麦は、輸入に頼っている食糧です。 50年前の日本の食料自給率は75%でした。 現在は39%まで下がり、50年の間に自給率が半減しました。 また、現代の日本では、人とのつながりが薄くなるにつれて、人と触れあうことで生きる喜びを感じることが少なくなりました。 そのため、無縁死・孤立死、自殺、いじめなどの社会問題が起こっています。 「触食」が不足しているのです。 そして、ある大学が日本・米国・中国・韓国の高校生に、「21世紀は希望ある社会になるか?」というアンケートをしたところ、「なる」と答えた国別の結果は次のようになりました。 日本35% 米国64% 中国89% 韓国63% 日本の若者の「思食」が貧しくなっています。 さらに「識食」では、ある宗教系の大学で、入学した学生に、宗教の必要性についてアンケートした結果があります。 必要だと思う16% 思わない20% 分からない64% 「識食」もあやしくなってきました。 このように、日本人の「四食」の自給率が下がってきています。 かつての日本は、「段食」ばかりでなく、他の3食も高い自給率を保っていた時代がありました。 「衣食足りて礼節を知る」ということばがありますが、今の日本は、「衣食足り過ぎて礼節を忘る」という状態ではないでしょうか。 日本では、年間1人あたり84sの食料が捨てられています。 日本全体で、年間、10tダンプ100万台分の食料が食べられることなく捨てられているのです。 こうなれば、「衣食におごって礼節を捨てる」とでも言わねばなりません。 「段食」は乏しかったが、他の3食は豊かな時代がありました。 貧しさの中にも豊かさがある。 そんな豊かさを、日本人は失いつつあります。 【 音楽の効用 】 お経を読んでいると、「音」がよくでてきます。 たとえば、「極楽浄土の木々を吹く風の音が、妙なる説法の声となって聞こえ、聞く人の心をさとりにみちびく」とか、「極楽浄土には種々の鳥が飛んでおり、その鳥たちの鳴く声が説法となって届き、聞く人に、仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起こさせる」などです。 「琴線に触れる」ということばがあります。 すばらしいものに出会って感動することを、「琴線に触れる」と言います。 誰でも心の中に琴があり、その弦がすばらしい事柄に出会って弾かれ、そのことで心が揺り動かされるように感動することをたとえたことばです。 人は、嬉しいにつけ悲しいにつけ歌います。 歌とともに生きるということが、人間にはあります。 歌や音楽は、人の心を和ませ癒し、力づける力があります。 また、歌や音楽には、心身の健康を促進する効果があると言われています。 現在、音楽療法士の資格を持つ人が、病院や老人ホーム、施設などで、音楽による心身の健康を高める活動をしています。 たとえば、@カラオケで懐かしい歌を歌う、A新しい歌を歌ってみる、B歌や音楽を聴く、C楽器を演奏してみることなどは、脳の血流を増加させる効果があるという報告もあります。 しかし、中には、音楽は大嫌いという人もいます。 そんな人は、無理して歌ったりする必要はありません。 昔は、歌う暇もなく働きづめに働いた人もいますし、現在もいます。 歌とは、無縁に生きている人もいます。 そもそも、音楽の元は何かというと、それは宗教です。 宗教には、読経があり、お勤めがあります。 お勤めは音楽です。 お経には、お釈迦さまの教えが書かれてあります。 昔の人は、毎日、仏壇の前に座ってお勤めしながら、仏さまの教えを自分の声で聞き、心の健康を保ってきました。 合掌 |
平成24年4月のおたより
【 お寺の行事 】 3月30日(金)午後1時半 祠堂経会 31日(土)午後1時半 祠堂経会 3時 鐘楼修復落慶法要 子供たち大歓迎!力いっぱい鐘をついてください! 4時 (落慶法要あとしき) 4月 1日(日)午後1時 初参会 1時半 祠堂経会 説教は、3日間とも、矢口千代麿師(末吉 光念寺住職) 4月 7日 お 講 午前8時 お勤め 午前9時 おとき 当番 土肥組 都合をつけて、お誘い合わせてお参りください。 【 仏行 】 春の農作業が始まりました。 今年は、春の訪れが遅く、桜の開花も遅れるという予報も出ています。 農作業は、毎年のこととはいえ、去年と同じということはありません。 自然が相手の農業は、常に天候に左右されます。 そこに、農業の苦労があり、苦労して育てた作物が豊かに実ったときは喜びとなり、田畑の恵みとともに農業の楽しみを味わうことになります。 江戸時代に生きた禅僧で、鈴木正三という人がいます。 鈴木和尚は、「農人日用」という文を書いています。「農人日用」とは、農民の日々の心得という意味でしょうか。 その中に、ひとつの問答があります。 農民と鈴木和尚の問答です。 農民 私は、「後生」ということが気にならないことはないのですが、農業が忙しくて、 仏さまの教えを聞くひまもありません! これでは、極楽へも行けないのではないかと心配です。 どうしたら、成仏できるでしょうか? この農民の問いかけに、鈴木和尚は、次のように答えました。 和尚 農業が、「仏行」だ。もし、お前さんが、ひたすら農業に励めば、それは「菩薩の行」となる。 田畑に生える雑草は、心身をわずらわせる煩悩だと思って、鍬や鎌で、なまけることなく刈り取り、 耕作に励みなさい! そうすれば、農民として生きる生活全体が「仏行」となる。 農民にとって、農業以外に「仏行」はない。 農民は、作物を育て、人々を養い育てる仕事をする役人(人の役に立つ 仕事をする人という意味)として生まれたのだ。 その役目を果たすことが、農民の徳だ。 この徳は、人は言うにおよばず、牛や馬などの家畜、そして虫などに至るまで受けるのだ。 それらの命を養うのが農民だ。 だから、一鍬一鍬、”南無阿弥陀仏!なむあみだぶつ!”と念仏を称えて田畑を耕せば、 その田畑は、極楽浄土の大地となり、その大地に育った作物は、極楽浄土からの清らかな 恵みとなって、食べる人の煩悩を消す妙薬となる。 もし、貪欲な心をもって耕せば、その田畑は、不浄の土地となり、そこから穫れる作物も 不浄となる。 だから、余念なく念仏を称えて農業に励めば、間違いなく成仏する! 農業を「仏行」と説く鈴木和尚は、「職人日用」「商人日用」という文も書いています。 鈴木和尚は、「何の事業も皆仏行なり」−どんな仕事も「仏行」だと言い、その職業に励むことで「成仏」できると説きます。 もろもろの職人がいなければ、道具も作れず、田畑を耕せず、家も建ちません。色々な職人が、世の中のためになっているのは、仏さまの徳がはたらきだしているからだと和尚は言います。 そして、商人も、品物を売買して人々の生活の用を足す役人として生まれたのであるから、万民の用に応えるため、遠近を問わず品物を仕入れるために走り回れば、走り回ることが「仏行」となる。 この「仏行」に徹すれば、「福徳充満の人」となり、やがて「仏果」を得ることができるだろうと説きます。 鈴木和尚の説くようには、簡単にはなれません。 しかし、和尚の説法は間違いではありません。 誰でも、その道を極めた人は、和尚と同じことを言います。それらの人たちは、修行僧が修行してさとるさとりを、日々の生業の中でさとった人たちです。 生業が、まさに「仏行」なのです。 【 平生業成 】 先頃、日本ホスピス・緩和ケア研究新興財団が、「死に直面したとき、宗教は心の支えになるか?」というアンケート調査を行いました。 その結果が、下の表です。 「なる」と答えた人の割合は、年齢が高くなるにしたがって増えていきます。 反対に、「わからない」「ならない」と答えた人の割合は、年齢を重ねるとともに減っていきます。 また、「なる」と答えた人の割合は、昨年の東日本大震災前の調査とくらべると、15%も増えているとのことです。 このことから、調査した財団は、昨年の大震災は日本人の「死への意識を高めた」と分析しています。 死ぬ瞬間どうなるのか、自分で体験してみなければ分かりません。 私たちが知っている死は、他人の死です。 他人の死にざまを見て、死とはこういうものかと思っているだけです。 死に逝く人の心の中までは分かりません。 死に逝く人の心は、自身が体験してみないと分かりません。 昔は、いよいよというとき、坊さんを呼び、死に逝く人の側でお経を読ませました。死に逝く人は、読経を聞き、自らも念仏を称えながら死んで逝きました。この死に方が、理想とされました。 しかし、予定したとおりには死ねません。死には、予定外のことが付きものです。 このため、親鸞聖人は、「平生業成」と説きました。 「平生業成」とは、前もって極楽浄土に生まれる条件をそなえておくという意味です。平常のときから、念仏の心に目覚めて生きるということです。 そうすれば、死ぬときになって、驚き慌てることはない。心穏やかに、死を迎えることができると教えてくださいました。 合掌 |
平成23年4月のおたより
【 お寺の行事 】 4月1日(金)〜3日(日)の3日間 祠堂経会 13:30 お始まり(3日間とも) 説教 大橋友啓師(田鶴浜 得源寺住職) ※ 期間中、誕生児初参り・帰敬式も行います。 4月11日(月) お 講 08:00 お始まり 09:00 おとき 当番 福島組 お誘い合わせてお参り下さい。 【 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要参拝 】 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要が、3月19日から始まりました。 法要は、東日本大震災が発生したことで、「被災者支援のつどい」と名称を変えて勤まりました。 全国からたくさんのご門徒のみなさんがお参りされ、3,100席用意された本廟は、ほぼ満堂となりました。 能登教区第三山方組(堀松・土田・上熊野地区の14寺院)からは、102名の方が、バス3台でお参りされました。 法要は、同朋唱和(お参りのみなさんとともにお勤めをする)で行われ、お念仏の声が、堂内に満ちあふれました。 ある女性は、近所に葬式ができて手伝いに出なければならなくなり、御遠忌参拝を諦めていたところ、若いお嫁さんが、”お母さん、私が仕事を休んで手伝いに出ますから、お母さんは京都へお参りに行ってきてください!”と言ってくれたので出られたと喜んでいました。 また、夫とともに参加された女性は、”これまで仕事に追われ、この歳になるまで、夫婦一緒に旅行したことは一度もなかった。東本願寺のお参りが、2人一緒に出る初めての旅行になりました!”と、感慨深げでした。 また、ある高齢の女性は、”先祖の100回忌の法事を勤めようと計画していたところ、お手次のお寺から親鸞聖人750回御遠忌の案内があったので、法事を勤める前に、ぜひ本山にお参りしなければと思い申し込んだ。しかし、足の都合が悪く、東本願寺の広い境内を歩く自信がなかったので、大阪の専門医に通って治してもらい、参加できた!”と、本山にお参りできたことで、先祖の100回忌法要を勤める気持ちがさらに強くなったと語ってくれました。 また、ある男性は、若いとき妻に先立たれ、残された子を男手ひとつで育てるのに苦労し、その苦労を乗り越えて今があることを思うと、感謝せずにはおれないと熱く語ってくれました。 その男性いわく、”感謝の気持ちがなければ念仏は出ません!” 参加されたみなさんは、それぞれが、それぞれの思いを持って御遠忌にお参りされたことを知らされました。 そして、その思いはそれぞれながら、思いの深いところに、共通したものがあるように感じました。 それは、自分を支えてくれる支えがあったからこそ今があることを喜ぶ気持ちです。 心の底に喜びがあるがゆえに、旅先で見るもの、聞くもの、味わうものは、平生の生活の中で触れているものが多いにかかわらず、新鮮な感動を与え、”来て良かった!”という感想を多くいただきました。この感想は、本山にお参りできたことで、支えられてあるいのちを生きるありがたさを再確認できたからこそ出てくる感想だと感じました。 思うに、私たちは、喜びを持って生きているでしょうか。生きることが苦しいのは、心に喜びがないからではないでしょうか。 仏教では、喜びのことを「歓喜」と言います。親鸞聖人は、「歓喜」について、「…歓は、みをよろこばしむるなり。喜は、こころをよろこばしむるなり。…」と説いています。身も心も喜ぶ、これが信心だというのです。「歓喜」が信心なのです。「喜び」を持つことが信心なのです。 人生は、苦しみの連続です。誰でも、四苦八苦しながら生きるのが人生です。 このたびの御遠忌参拝は、人生に四苦八苦しながらも、深いところに、「喜び」や「ありがたさ」を感じて生きる人の心に触れる旅ともなりました。 なお、御遠忌法要は、4月と5月の下旬にも、10日間ずつ勤まります。 また、法要は、期間中、毎日、インターネットでライブ中継されますので、インターネットからもお参りできます。 http://www.higashihonganji.or.jp/ または、「東本願寺」で検索してお参りください。 【 大悲代受苦 】 極楽浄土に往生するとき、仏さまが迎えに来てくれるという考え方があります。 仏さまのお迎えを「来迎」と言います。そして、人が死ぬとき、仏さまがお迎えに来ることを「臨終来迎」と言います。昔から、仏さまの「来迎」のようすが絵に描かれてきました。それが、「来迎図」です。 人々は、来迎図を拝んで、まだ見ぬ極楽浄土に思いをはせ、信仰を深めました。 そもそも、仏さまの来迎が説かれ、絵にも描かれたのは、死にゆく人の不安を取り除くためです。死にゆく人は、死ぬことの苦しみ以上に、一人死んでゆかねばならない寂しさを苦しむといわれます。 「独生独死独去独来」とお経に説かれるように、人は、一人生まれ一人死んでゆかねばなりません。誰も、連れ添ってくれません。人は孤独の中に生まれ、孤独を生き、孤独に死んでいく存在なのです。 その孤独に寄り添ってくれる唯一の存在が、仏さまです。仏さまへの信仰は、生きることの孤独や不安の中から生まれてきました。 人は、人生の孤独の中で、寄り添ってくれる存在を求めています。元気なうちは、さほどでもありませんが、病気をしたり、困難な状態になったとき、寄り添ってくれる存在を恋しく思い、寄り添ってくれる存在があることが、どんなに嬉しく有り難いことかを身に染みて感じることになります。 人生の孤独と不安を救ってやろうと現れてくださったのが仏さまです。その仏さまの救いの働きを「大悲代受苦」と言います。私たちの苦しみを、私に代わって引き受けてくださるのが仏さまです。そのため、私たちは苦しみを軽くして生きて行くことができるのです。それが、信心を生きるということです。 今回の大地震で被災した人たちは、どんなにか不安に思い、孤独にさいなまれているにちがいありません。 その心に寄り添ってあげることが、私たちにできることです。それは、仏さまの救いのお手伝いをすることでもあります。 合掌 |
平成22年4月のおたより
【 お寺の行事 】 4月2日(金)祠堂経会 3日(土)祠堂経会 4日(日)祠堂経会 お始まり 1時半(3日間とも) 説教・谷内宣雄師(酒見 柳泉寺住職) 4日は、「誕生児初参会」も行います。 4月11日(日)お 講 お始まり 午前8時 当 番 道辻組のみなさん お誘い合わせてお参り下さい 【 花まつりのころ 】 親鸞聖人は、承安3年(1173年)4月1日、桜の花が咲き誇る京都・日野の里にお生まれになりました。今から、約840年前のことです。 幼名を松若丸と名乗った親鸞聖人は、4歳のとき父が死に、8歳のとき母も死にました。翌年、9歳のとき仏門に入りました。 仏門にはいるとき、髪を剃る儀式(得度式)を行います。松若丸が、得度式をお願いする高僧を訪ねたときは夕方でした。 高僧は、”今日は、もう遅いから明日にしよう!”と言ったところ、9歳の松若丸が、「明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」−明日があると思っていても、桜は散りやすいものです。夜に嵐が吹いて、花を吹き飛ばしてしまうかも知れません−と和歌を詠んだところ、高僧は、はっと気づいて、その日のうちに得度式を行ってくれました。 親鸞聖人が、強い求道心をいだいて、出家したことを物語るエピソードです。 以来、20年間、比叡山で修行しましたが、求めるものは得られませんでした。 29歳のとき、比叡山の麓・黒谷に住む法然上人のお念仏の教えに出会いました。 お念仏の教えに帰依した親鸞聖人は比叡山を下り、90歳の生涯を閉じるまで、市井の人々とともに、お念仏の道を歩まれました。 [念仏問答] 問・親鸞聖人は、お念仏の教えに出会って、何がおこったのでしょうか? 答・お念仏の教えによって、求めるものが得られたのです。 お念仏の教えに出会って、さとったのです。 お釈迦さまは、菩提樹の下で座禅をして、さとりました。 親鸞聖人は、お釈迦さまと同じさとりを、念仏を称えてひらいたのです。 問・さとりとは、何でしょうか? 答・さとりのことを、成道、大悟、成仏、往生、安心、信心などと言います。これらは、みな同じ意味です。お釈迦さまのさとったさとりのことです。 そのさとりを、”南無阿弥陀仏!”と念仏を称えることで、誰でも得られると説くのが、お念仏の教えです。 問・さとれば(信心を得れば)、どんな状態になるのでしょうか? 答・『唯信鈔文意』に、「信心をうるを慶喜というなり。慶は、よろこぶという。信心をえてのちによろこぶなり。喜は、心のうちに、よろこぶ心たえずして、常なるをいう。うべきことをえてのちに、身にも、心にも、よろこぶなり。」と説かれます。 信心を得ること(さとること)は、心身ともに、よろこびの日々を生きる身になるということです。 問・どうしたら、信心を得られるのでしょうか? 答・『一念多念文意』に、「如来の本願を信じて一念するに、かならず、もとめざるに無上の功徳をえしめ、しらざる に広大の利益をうるなり。」と説かれます。 信心は、”欲しい!欲しい!”と思って、求めるものではありません。求めて得ようとすれば、信心は逃げていきます。 かなり前のことですが、三遊亭歌奴(現在、三遊亭圓歌)が、ドイツの詩人・カールブッセの詩、「山のあなた」を取り入れた落語で人気を博したことがあります。 山のあなたの空遠く さいわい住むと人のいふ ああ、われひとゝとめゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ 山のあなたになほ遠く さいわい住むと人のいふ この詩は、幸福を求めて旅に出たが、幸福を見つけられず、帰ってきたという内容です。求めたけれど、求められなかったという話しです。 信心は、求めるものではなく、与えられるものです。いただくものです。たまわるものです。 信心は、探し求めてさまようのではなく、信心の方から現れてくださるのです。どこにでかける必要もなく、じた ばたせず、そこに居さえすれば、信心をいただけるのです。そのままでいいのです。 信心を、あれこれ詮索する必要はないのです。あるがままでいいのです。 そして、ただ、念仏を称えるだけでよいのです。 問・念仏を称えれば、なぜ信心をいただけるのでしょうか? 答・念仏を称えると、煩悩をかかえたまま、人間に生まれたことを喜べるようになります。かかえた煩悩が邪魔にならなくなります。腹が立っても、腹が立ったままを受け入れることができます。この状態になることを、さとるとも、信心を得るとも言います。 問・念仏を称えても、信心をいただいた気がしないのですが? 答・私も同じです。 それは、念仏と私が離れてしまって、私と念仏が一体となっていないからです。ただ、口先だけで、”南無阿弥陀仏!”と言っているだけだからです。 私の体が、念仏を称えています。私の心臓が、念仏を称えています。私のいのちが、念仏を称えています。そ の念仏に、唱和するのです。 別の言い方をすれば、私の体が勝手に念仏を称えています。その念仏を聞き、その念仏に和すのです。 この状態を、さとる、信心を得る、往生・成仏すると言います。 合掌 |
21年4月のおたより
【 お寺の行事 】 4月 3日(金)〜5日(日)の3日間 祠堂経会 説教 芳野広照師(牛ケ首 願行寺住職) ※ お始まりは、3日間とも、午後1時半です。 期間中、帰敬式、誕生会も行います。 4月12日(日) お 講 勤行 08:00 お斎 09:00 当番 谷口組 お誘い合わせてお参りください。 ♪ 縁の糸 ♪ 最近の科学研究の結果、人間とシュウジョウバエ、ナメクジウオは、共通の祖先を持つ親戚同士 だということが分かってきました。 地球上の生物は、もともと1つだったものが、 いくつかに分かれ、長い年月を経過する間に形を変え、それぞれ独自の進化を遂げました。 人間とショウジョウバエが分かれたのは、約6億年前だと言われます。5億2千万年前には、人間とナメクジウオが分かれました。人間とナメクジウオ、ショウジョウバエは祖先が同じなのです。祖先が同じであれば、親戚です。姿、形は、まったく異なりますが、ひとつの祖先から分かれた親戚同士なのです。 人間同士であれば、なおさらです。 先日、北朝鮮の工作員だった金賢姫さんと、拉致された田口八重子さんの兄と、八重子さんの息子さんが、韓国で対面しました。 これまで、何の関係もなかった両者が、拉致という事件をとおして、つながっていたことが分かりました。テレビニュースを見た多くの人たちは、深い感慨を持ったことと思います。当の金賢姫さんも涙を見せながら、「韓国の母になる!」とまで宣言しました。 さて、NHKテレビの朝の連続ドラマ、「だんだん」が終了しました。 「だんだん」のテーマ曲は、「縁の糸」でした。 ♪そでふり合うも多生も縁と いにしえからの伝えどおり この世で出会う人とはすべて 見えぬ糸でつながっている♪ 科学を持たなかった昔の人たちは、この世のすべてのものはつながっており、無関係でないことを知っていました。その関係は、「多生の縁」という見えない糸でつながっていると感じていました。 「多生の縁」とは、この世に生まれ出るまでに、何度も何度も生まれ変わり、死に変わりする間に結ばれた因縁(関係)という意味です。 科学は、この因縁(関係)を、遺伝子を研究することで証明しました。同じ血を引いているのです。人類は、すべて同じ血が「縁の糸」でつながっています。その血は、さらにナメクジウオやショウジョウバエにまでつながっているのです。 親鸞聖人は、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」と説き、中国の曇鸞大師は、「四海のうち、みな兄弟となすなり。眷属無量なり」と論じました。 生きとし生けるものは、すべて過去からの因縁でつながっています。その「縁の糸」を感じる心を持っていた昔の人たちは、人との関係を大切にし、生きとし生ける数々の命と丁寧に付き合ってきました。 仏教には、「五戒」といういましめがあります。「戒」とは、「守るべきいましめ」という意味です。5つのいましめの最初が、「不殺生戒」です。生きとし生けるものの命を、むやみやたらに殺すなといういましめです。 2つ目は、「不偸盗戒」です。盗みをするなということです。3つ目が、「不邪淫戒」−よこしまな男女関係はいけない。4つ目が「不妄語戒」−嘘をついてはいけない。5つ目が「不飲酒戒」−むやみやたらと酒を飲んではいけないのです。 私たちは、この5つのうち、いくつ守れているでしょうか。「戒」を守れなければ、極楽往生のさまたげになります。 しかし、私たちは、極楽往生のさまたげになることばかりしているのではないでしょうか。たとえば、殺生です。私たちの命は、殺生のうえに成り立っています。生きるためには、「不殺生戒」を破らねばなりません。破らねば、生きていけません。殺生しながら生きる命です。長生きすればするほど、殺生の罪を積み上げる命です。 大事なことは、「戒」を破らねば生きていけないわが命であることを自覚することです。「戒」を破って生きねばならない命であることを深く意識することです。 昔の人たちは、この深い自覚と意識を持っていました。 だからこそ、「縁の糸」を感じることができたのです。 【 天上天下唯我独尊 】 お釈迦さまは、4月8日に生まれました。 生まれるとすぐ、7歩歩いて、右手で天を指さし、左手は地上を指して、「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられます。 生まれたなりの赤ちゃんが、歩くことはありません。まして、言葉をしゃべることなどありません。 お釈迦さまの誕生にまつわるエピソードは、作り話です。しかし、作り話だからといって、意味のないものと決めつけるのは早計です。作り話には、作り話なりに、込められた意味があります。 まず、生まれてすぐ7歩歩いたことです。7歩は、6歩+1歩です。6歩とは、「6道」のことです。「6道」の「道」は、境涯、世界という意味です。6道とは、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の6つの境涯のことです。この境涯は、苦しみの世界です。私たちは、いつも、この6道の世界で、あくせくしています。 7歩とは、6道の苦しみを超えて1歩外に出た世界、つまり光りの世界のことです。仏さまの光りに照らされた世界のことです。お釈迦さまは、阿弥陀仏の光りに照らされた境涯に生まれるべくして生まれたお方であるということです。 生まれてくる赤ちゃんは、みな仏さまの世界に生まれるべくして生まれた存在です。みんな、尊い命を持って生まれてきます。 そして、みな、「オギャー!オギャー!」と泣いて生まれます。「オギャー!オギャー!」にことばを当てれば、「天上天下唯我独尊」ということになります。「僕も、私も、かけがえのない尊い命を持って生まれたぞ!」という命の宣言なのです。 合掌 |
平成20年4月
【 お寺の行事 】 4月 4日(金)〜6日(日)の3日間 祠堂経会 説 教 矢口千代麿師(末吉 光念寺住職) お始まり 午後1時30分(3日間とも) ※ 6日は誕生児の初参りも勤めます。 4月13日(日) お 講 お勤め 8時 おとき 9時 当 番 谷川組 お誘い合わせて、お参りください。 【 スピリチュアルケア 】 介護報酬にかかわる法律が変わったことで、特別養護老人ホームなどでは、条件を満たせば、「看取り」ができるようになりました。 現在、老人ホームに入っていて、施設を出る事由の70%が「死亡」です。そのうち約40%の人が施設内で亡くなっています。その他の人は、病院などで亡くなります。病院では死にたくない、そうかといって、自宅では十分な介護や看護ができないという現代の状況の中で、病院と自宅の中間的な役割をする老人ホームなどでの看取りが期待されています。 このことで、施設で働く介護士さんたちは、これまでのお年寄りの身の回りの世話をする仕事に加えて、「臨終」に立ち会わねばならなくなりました。 終末期にある人は、さまざまな「痛み」を訴えます。痛みには、体の痛みと心の痛みがあります。体の痛みは、病院との連携で、医師の処置によって軽くすることができます。しかし、心の痛みは、手術するとか薬を投与するなどの処置では治せません。終末期の人は、次のようなことを考えて苦しみます。 「私の人生は何だったのか?」 「死んでしまうと、私はどうなるのか? どこへ行くのか?」 このような苦しみを「スピリチュアルペイン」と言います。「心の痛み」という意味です。自分が生きたことにどんな意味があったのか、人間はなぜ生まれて死ぬのか、死んだらどうなるのかなどの疑問は、人と生まれたら誰でも持つ疑問です。10代の思春期で一度この問題に悩み、答えを見出せないまま人生にあくせくしているうちに、いつの間にか問題を忘れてしまい、人生の最期へきて、ふたたびこの問題で悩みます。その苦しみは、10代のときとは比べものにならない切実なものです。 自分の人生は何だったのか? 終末期を迎えた人は、自己の生涯をかけて、介護士さんに問いかけてきます。そうしたとき、たとえば「立派でしたよ!」とか「よく頑張ったね!」などと答えることで、納得してもらえるでしょうか。 また、死後の世界はあるのかと悩む人に対して、「あなたは頑張ったのだから、きっと極楽に行けますよ!」とか「あの世は、すばらしい所だと言いますよ!」などと答えることで、喜んでもらえるでしょうか。 問いかけた人は、うわべだけのほめ言葉を期待しているのではなく、自分が生きたこと、自分が死んでいくことを納得したいと思っています。自分が生きたこと、自分が死んでいくことに満足して死を迎えたいと考えています。誰でも、自分の人生は100点満点だったとは思っていません。他人からは立派な人生に見えても、本人はちょっとした失敗を気にしていて、すっきりしない気持ちを抱えていることもあります。他人は立派だったと評価しても、本人は納得していないのです。納得していない人を納得させることは、簡単なことではありません。 また、死んだあと、別世界に生まれると信じている人は何人いるでしょうか。むしろ、別世界の存在を疑っている人のほうが多いのではないでしょうか。 終末期にある人の、このように深くて重い悩みや思いに応えることは、なかなか難しいことなのです。 そうしたとき、医療行為を行う医師や看護師さんの人生観や人格、介護にあたる介護士や見守る家族たちの人生観や人格が問われます。しかし、たとえ立派な人生観や人格を持っていても、限界があります。本人の自覚という問題があるからです。自分が生きて死んでいくことを自覚し、受け入れなければ、納得のいく終末を迎えられないからです。どんなに立派な介護や看護を行っても、本人が自覚してくれなければ、何の意味もないからです。 こういう問題を抱えた介護や医療の現場では、「傾聴」ということが試みられるようになりました。自覚してもらうためには、傾聴が効果的であることが分かってきたのです。傾聴の効果は、次のような順序で現れます。 @気持ちが落ち着き A考えがまとまり B前向きに受け止めるようになる この変化は、次のようなことを自覚したときに起こります。 「死を超えた将来を見いだした」 「死を超えた他者を見いだした」 「死を超えた将来を見いだす」とは、「永遠の時間を自覚する」ということでしょう。「永遠の時間に触れる」ということでもありましょう。そして、「永遠の時間に身をゆだねる」ということでもあります。 たとえば、歳を重ねると、若い頃は気にならなかった祖先のことが気になり出すことがあります。先祖のことを調べたり、祖先ゆかりの人を探して訪ねたり、家系図を作る人もいます。さらに、法事をすることを思い立つ人もいます。 これらのことは、自分の命の源流を訪ね、今ある自分を自覚し、過去から未来をつらぬく永遠の命や永遠の時間の流れの中にいる自分を確認する行為です。考えようによっては、自分はいずれ死ぬことによって、祖先がたどった同じ道を歩むことになるわけですから、祖先は過去の人ではなく、自分が行く先で待っていてくれる未来の存在であると考えることもできます。自分は今、そうした永遠の命と永遠の時間の流れの中にいるのだと自覚し、このことが納得できれば、終末期のさびしさから解放されるのではないでしょうか。そして、祖先から多くの恵みを受けてある自分であることに気づくことが、「死を超えた他者を見いだす」ということでしょう。この自覚が芽生えたとき、自分は一人でない、自分を支えていてくれる存在が周りにたくさんあると気づくことで、喜びとか感謝の念に包まれ、終末期の寂しさを乗り越えられるのではないでしょうか。 人間関係が疎遠になっている現在、生きている人間に限らず、祖先との付き合いも遠くなっています。人間とは、人との関係の中で生きる存在です。その関係を忘れてしまうと、いざというとき「寂寥地獄」で苦しまねばなりません。 合掌 |
平成19年4月
【お寺の行事】 4月 6日(金) 7日(土) 祠堂経会 説教 大 橋 友 啓 師 8日(日) (田鶴浜 得源寺住職) ※ 8日は、誕生児初参りも行います。 また、期間中は帰敬式(お髪そり)も行います。 帰敬式ご希望の方はご一報ください。 4月22日(日) お 講 8時 お始まり 当番 石川組 【 初参会のころ 】 4月8日は、お釈迦さまの誕生日です。 お経には、お釈迦さまの誕生が神秘的に語られています。 この世に生まれる前のお釈迦さまは、兜率天で説法をしていました。兜率天を捨てて人間界に下ったお釈迦さまは、摩耶夫人の胎内に宿りました。やがて、摩耶夫人の右脇からこの世に誕生されました。生まれたばかりのお釈迦さまは、すぐに立ち上がって七歩歩き、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と宣言されました。すると、天の竜が感激して、甘露の雨を降らせたということです。 このいわれから、4月には、「仏生会」とか「降誕会」などと言われる仏事が行われるようになりました。 「仏生会」とは、文字どおりお釈迦さまの誕生を祝う仏事です。「仏生会」では、子どもたちがお寺にお参りします。そして、お釈迦さまの子ども時代の姿をかたどった仏像に甘茶をかけ、お釈迦さまの誕生を祝います。甘茶をかけるのは、竜が降らせた甘露にちなんでいます。甘露とは天人の飲み物であり、仏さまの教えのたとえでもあります。 お寺によっては、誕生仏をお堂に安置し、白象の上に乗せて街を練り歩く行事も行っています。そして「仏生会」は、桜の咲く4月に行われることから、「花まつり」とも言われています。 極應寺では、毎年4月初旬に行う祠堂経会の期間中、「初参会」を行っています。「初参会」は、子どもさんが初めて仏さまにお参りする仏事です。当日は、ご門徒さん宅で1歳になる子どもさんが、お寺にお参りします。 この世に、人間として生まれ出たことを仏さまに報告し、仏さまの祝福を受けることで、お子さんのすこやかな成長を祈る行事としています。 「唯我独尊」とは、「かけがえのない命」という意味です。ひとりひとりの命が、「唯我独尊」なのであります。 私たちは、子どもが生まれれば、誰でもその誕生を喜びます。しかし、その感激もいつの間にか薄れ、生きる喜びもいつの間にかしぼみ、知らず知らずのうちに、命を粗末にしているのではないでしょうか。 【 訃報 】 ♪ チョイと一杯の つもりで飲んで いつの間やら ハシゴ酒…… 分かっちゃいるけど やめられねぇ アホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ… ♪ と歌った植木等さんが亡くなりました。 植木さんの活躍は、昭和30年代の後半から始まりました。映画・テレビ・舞台で大活躍する植木さんは、国民的コメディアンとなり、一世を風靡しました。 「わかっちゃいるけどやめられねぇ」「ハイ、それまでよ〜」「お呼びでない…… しっつれいしました〜」などのギャグの数々は、当時の流行語にもなりました。 当時の日本は高度経済成長期にあり、サラリーマンたちは、会社のためにがむしゃらに働いていました。彼らは「モーレツ社員」と言われ、今日の日本の繁栄の礎を築きました。植木さんが無責任なサラリーマンを演じた映画「ニッポン無責任時代」は、モーレツサラリーマンたちにバカ受けしました。そして、サラリーマンばかりでなく、老若男女を巻き込んで、日本国民は一様に、「♪スーダララッタ♪」と歌いまくりました。 しかし、植木さん自身は、きわめて真面目な性格であったことはよく知られています。植木さんは、三重県の浄土真宗のお寺に生まれました。「無責任男」を演じることに抵抗を感じた植木さんは、住職であるお父さんに、どうしたものか相談しました。「スーダラ節」の歌詞を見たお父さんは、「『分かっちゃいるけど やめられねぇ』なんてのは、人間の真理で、親鸞聖人の教えに通じるものがある。やればいいじゃないか」と大賛成してくれました。 「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言います。歌と時代には、密接な関係があります。時代が歌を生み、歌は時代を映し出します。「スーダラ節」は、高度経済成長の繁栄に浮かれる日本を映し出しました。それはまた、次に来る「時代の凋落」への警告でもあったはずです。 しかし、そのことに気づいた人は少なかったようです。日本は、浮かれに浮かれまくってバブルまで経験し、バブル崩壊後の日本は、息のつまる閉塞感の中にあります。「分かっちゃいるけどやめられない」と、欲望のおもむくままに突き進んだツケを取り戻すのは、なかなか困難な状況にあるように思われます。 そして、こうなることを予測できたのは、植木等さんのお父さんだけだったのかも知れません。繁栄は凋落の予兆であり、凋落は、やがて訪れる変化のきざしでもあります。大切なことは、繁栄であれ凋落であれ、そのときどきをどう生きるかということです。 「スーダラ節」を歌うことに賛成した植木さんのお父さんは、繁栄に浮かれっぱなしになってもいけないし、そうかといって凋落に落ち込みっぱなしになる必要もない、どちらにも片寄らない生き方こそ親鸞聖人の教えに通じるのだと言いたかったのではないでしょうか。 右寄りでもなければ、左寄りでもない。真ん中を歩くということであります。 【 能登半島地震 】 今回の地震で被害を受けられた皆さまには、こころよりお見舞い申し上げます。 極應寺も本堂がずれて、壁が落ちるという被害に遭いました。これまで、地震は他人事と思い、能登に地震はないと安心しきっていた甘さを思い知らされました。 しかし、「ピンチはチャンス」であります。最も被害の大きかった門前町では、自らも被害に遭った星野正光さんが、地震直後、地区内の家庭を回って住民の安否を確認し、夜回りまで自主的に始めました。その星野さんは言います。「人のことを一生懸命考えとったら、辛いことを忘れられるわね」と。これが、困難を乗り越える知恵であります。仏さまは、迷っている人々を助けるために、この世にお出ましになりました。人を助ける心は、仏さまの心に通じています。 合掌 |
平成18年4月
【 行事の予定 】 4月 6日(金) 7日(土) 祠堂経会 説教 大 橋 友 啓 師 8日(日) (田鶴浜 得源寺住職) ※ 8日は、誕生児初参りも行います。 また、期間中は帰敬式(お髪そり)も行います。 帰敬式ご希望の方はご一報ください。 4月16日(日) お 講 8時 おつとめ 9時 おとき 【当番】土肥組 【 覚悟のない時代 】 射水市民病院に入院していた末期患者7人が、担当医師によって人工呼吸器を外されて死亡するというできごとがありました。 このことがきっかけとなって、ふたたび「尊厳死−人間らしい死に方」をめぐる議論が活発になっています。 今回のできごとで、「終末医療−人間の最期を看取る医療行為」について、どの段階なら人工呼吸器を外すことが許されるのかなど、明確な法律の整備を国に求める医療現場からの声もあるようです。しかし、法律を作る者にとって、この要請に応えることは難題であります。容易なことではありません。なぜなら、これまで人間が決めたことで、完璧なものは何ひとつ無かったからであります。 たとえば、臓器移植の問題があります。 日本では、すったもんだの末に法案は作られましたが、臓器提供者が少ないため、国内での移植をあきらめて、命の回復を求めて海外で移植を受ける患者さんが相当数いるように聞いています。このことは、臓器移植法案そのものに、安心して臓器提供できる条項が盛り込まれていないという欠点があるからでありましょうし、また、臓器を提供することは、命を冒涜する行為であるという根強い生命倫理観を日本人が持っているということも事実であります。 そもそも、人間の生死を人間が決めること自体、無理があります。人間を造ったのは、自然の摂理であります。したがって、命のことは、自然の摂理に委ねることがもっとも賢明なやり方です。 しかし、現代人は、自然の摂理を受け入れようとしません。自然の摂理に逆らう方向にばかり意識が向いています。自然の摂理を受け入れる覚悟がないということなのでしょう。このことが、医療の現場に混乱を引き起こす原因になっています。 私たちは、医療現場に限らず、日常生活の中においても、「生きていること」に価値を置いて、「死ぬこと」を敗北と受け取る価値観が強いように思われます。殊に、終末医療の現場では、「生」に執着しすぎて「死」を受け入れないことで、いつまでも死なせない、いつまで経っても死ねない状況の中から、今回のような問題が起こってきました。 これに対して、昔の人には、「死」を受け入れる覚悟がありました。そして、「死」を覚悟するための智慧も持っていました。 仏教は、死ぬことは消え去ることでなく、永遠の命をたまわることだと説きました。つまり、永遠の時間を生きる身になるということです。そして、永遠の命をたまわるのですから、死ぬことは「めでたい」ことでもありました。 親鸞聖人は、関東のお弟子さんで、明法という人が死んだと聞いて、「……なにごとよりも、明法の御坊の、往生の本意をとげておわしましそうろうこそ、常陸の国中のこれにこころざしおわしますひとびとの御ために、めでたきことにそうらえ。往生は、ともかくも凡夫のはからいにてすべきことにてもそうらわず。ただ願力にまかせてこそ、おわしますことにてはそうろうなれ。……」という手紙を書き送りました。 親鸞聖人は、生死の問題は「凡夫のはからい−人間の思慮分別」の範囲外のことであり、生死の問題は自然の摂理として受け入れていくべきであると門弟たちに教えました。「凡夫のはからい」を超えた自然の摂理のままに生きることが望ましい生き方であり、そのように生きて死んでいくことが「めでたい」ことなのであります。 ある人から、昔は、棺桶のことを「めでた桶」と言ったという話を聞いたことがあります。 「めでた桶」とは、なんとも思い切った言い方であります。現代人には、とうてい受け入れがたい言い方です。しかし、「めでた桶」という言い方で分かることがあります。それは、昔の人たちは、死ぬことに対して、仏教や親鸞聖人の教えにもとづいた、現代人にはない思考回路を持っていたということです。 昔の人たちの全部が、すべての死に対して「めでたい」と感じたとは思えません。昔の人たちにとっても、肉親との離別は悲しいできごとであったはずです。そして、悲しみの涙を流したはずです。 しかし、その悲しみを、亡くなった人を祝福する気持ちに切り替える智慧を持っていました。昔の人たちは、仏教や親鸞聖人の教えによって、肉親が亡くなることは、この世に残る者にとっては悲しいことではあるが、亡くなった人が永遠の命をたまわったのだから、亡くなった人にとっては「めでたいこと」なのだと気持ちを切り替えることができました。 そして、亡くなった人たちが、今、永遠の命をめでたく生きているのだと思うことで、自分の死をも前向きに受け止めて生きることができました。つまり、昔の人は、死ぬ覚悟も持って生きたということです。生きることの中に、つねに死の覚悟があることで、人生を確かなものとして力強く生き抜いて行きました。 現在、「いのち」が粗末にされるできごとが頻繁に起こっています。何のかかわりもない子どもやお年寄りが、事件の犠牲者になるという事件が起こっています。社会の矛盾のしわ寄せが、子どもやお年寄りに集中しているという時代の状況の中で、今、「いのちの教育」が叫ばれています。 しかし、この「いのちの教育」が、「いのちを大切にし、いのちを守る教育」にばかり重点が置かれたのでは、片手落ちになります。「いのちの教育」は、「死ぬ教育」も含んでいなければなりません。同じく命を大切にするにしても、死ぬことが嫌で命を大切にする人と、死ぬことを覚悟したことで、命を大切に生きる人とでは、人生を生きる態度がまったく違ってきます。 現代には、死ぬことを納得させる教育が欠けているため、仏教や親鸞聖人の教えが、現代人の心に響きません。そして、終末医療をめぐってトラブルが発生します。 「めでた桶」とは、現代人にとっては、とんでもない言い方に聞こえます。しかし、昔の人は、そういう風に受け止めていたし、そういう風に言うことで、「いのちの教育」が行われてきました。 昔の人は、大切なことを簡単な言葉で言い表す智慧も持っていたということです。それは、死ぬことの覚悟ができていたからこそ言える言葉でありました。 合掌 |
平成17年4月
【 衆生濁 】 軽犯罪法という法律があります。公衆道徳に反する行為など、比較的軽い犯罪に適用される法律のことです。 この法律に関係する裁判がありました。岡山県でのことです。 ある男性が、保育園のそばで下半身を露出したとして警察に捕まりました。その理由は、「公然わいせつ罪」です。警察に通報したのは、保育園の前で、預けた子どもたちが出てくるのを待っていた母親たちでした。裁判では、「放尿していなかった。下半身を見せびらかしていた」という母親たちの証言を受けて、検察側は罰金20万円を求刑しました。これに対して、捕まった男性は、「我慢できなくて放尿しただけだ」と主張しました。 裁判の結果、裁判長は「当日は、雨が降っていて視界が悪かったから、母親たちの放尿していなかったという証言は信用できない。遠目には、雨と放尿している尿の区別ができにくい状況下であったから、放尿していたかも知れない可能性もある」として、母親たちの証言を退けて、無罪としました。 この判決によって、男性は、罰金20万円を払う必要はなくなりました。さらに、軽犯罪法では、路上で放尿した場合、1,000円以上〜10,000円以下の罰金を払わなくてはなりません。これについても、罰金を払わなくてよいことになりました。判決で、放尿していたかどうか特定できないから「無罪」となったからです。 この結果、男性は晴れて無罪放免となりましたが、後味の悪い気持ちが残ったにちがいありません。 私たちが生きている現代という時代は、立ち小便をしていたかどうかで裁判になる時代になってしまいました。 街の中でツバを吐いたら軽犯罪です。正当な理由もないのに、他人の田畑に入っても軽犯罪です。ごみを指定された場所以外の所に捨てても軽犯罪です。また、成人式を妨害する新成人がいますが、これも軽犯罪です。これらの行為は、みな1,000円以上〜10,000円以下の罰金の対象になります。ですから、街の中をうかうかと歩いておれません。何気なくしたことが、ひょんなことで警察に捕まって、罰金を払わされることになりかねないからです。 罪を犯す人間が出れば、それを取り締まる法律が生まれます。そうすると、その法律の抜け道を見つけ出して、新たな犯罪を起こす人間が出てきます。そうすると、さらに新しい法律を作らねばなりません。しかし、法の網をくぐる新しい犯罪は、次から次へと起こります。 このようにして、新しい法律がドンドン生まれ、法律ばかりが増えて、犯罪は一向に減らないという奇妙な時代になってしまいました。 現代は、法律がたくさんありますから、人間関係のトラブルは、すべて法律が裁いてくれます。当事者同士が、言い争い思い煩う必要はありません。トラブルを解決するための努力は、裁判官がしてくれます。裁判官にまかせておけばよいのです。 この結果、人間は、「信頼」という大きな財産を失うことになりました。人々は、法律を信じて、人間を信じなくなったからです。 だから、小便を「した」「しない」で裁判になるのです。この事件は、昔なら、母親たちが「こら、そこな父ちゃん。あっち行って小便しまっしま!」で済んだことです。そうならないところに、現代人の強い人間不信があります。 「信頼」という、心でつながることを忘れた現代人の人間関係が浮き彫りになった事件でした。 また、先日、新聞は、内閣府が行った世論調査の結果を報じました。少年がタバコを吸っているのを見て、「注意する」と答えた人が11.5%しかいなかったという内容です。平成13年に行った同じ調査では、16.3%の人が「注意する」と答えています。5年の間に5%もの人が注意しなくなったことになります。 それにしても、「注意する人」が少なすぎます。10人に1人しかいません。そうすると、10人のうち9人の大人が「見て見ぬふり」をしていることになります。 内閣府の調査では、「なぜ注意しないのか?」も尋ねました。最も多かったのは、「暴力を振るわれる恐れがあるから」と答えた人が80%いました。次に多かったのは、「注意しても聞き入れないと思うから」という答えでした。 未成年の喫煙は、「未成年者喫煙禁止法」という法律で禁止されています。未成年者がタバコを吸った場合、行政処分として、持っているタバコやライターなどが没収されます。そして、未成年者と知りながら、その未成年者が吸うことも知りながらタバコを売った場合、売った人が50万円以下の罰金を払わなくてはなりません。 こういう法律があり、多くの未成年者がタバコを吸っている現実があるにもかかわらず、この法律が適用されたという話はあまり聞きません。見て見ぬふりをしている大人が多すぎるからです。未成年者の喫煙は認めないという法律があることを知りながら、青少年を教え導く立場にある大人が注意できないというのも変な社会であります。 そこには、「不信」という問題があります。若者を信じられない大人側の「不信」があります。このことは、若者側も大人を信じられない「不信」を抱えていることをも意味します。 お互いに歩み寄れない人間関係という点では、保育園の前で警察に捕まった男性の事件も同じです。 『仏説阿弥陀経』というお経の中に、「五濁悪世」ということばがあります。「五つの汚れに満ちた悪い世の中」という意味です。この「五つの濁れ」の一つに、「衆生濁」があります。「衆生濁」とは、人の心が汚れて、人間関係をうまく作れないことによって起こる混乱した世の中のことです。 保育園前での事件や大人が不良青少年に注意できないという現象は、まさに人間の心が汚れた「衆生濁」の事態の象徴的なできごとであります。 仏さまは、「衆生濁」の原因は「?倒上下」にあると指摘しています。「?倒上下」とは、「逆しまな考え方」「あべこべの考え方」という意味です。考え方が逆しまだから、世の中が混乱するのです。そして、この混乱により受ける苦しみを「一心?倒すれば獄率器杖を振るう」とたとえています。「地獄の鬼たちが、さまざまな攻め道具を持って私たちに襲いかかってくる」という意味です。 今、私たちは、人を信頼できず、人間関係も構築できないことで、「地獄の苦しみ」を味わっているのです。 この苦しみを逃れるには、どうしたら良いのでしょうか。 理屈は簡単です。 上下?倒しない考え方をすることです。つまり、あべこべの考え方をひっくり返えせば良いのです。そうすれば、「聖衆蓮台をかたぶく」と仏さまは説きます。「正しい心を持った仲間が、その人の周りに大勢集まってくる」という意味です。 しかし、私たちは、なかなか「逆しまな考え」を元に戻すことはできません。心が濁っているからです。 自分だけが正しく、他の人たちが間違っているのではありません。 この私の心が濁っているのです。 この自覚が一人一人の心になければ、「衆生濁」の時代の濁りを澄み切ったものにはできません。 合掌 |
平成16年4月
「一水四見」という教えがあります。すべてのことは、心から起こり、心を離れて事物は存在しないことを説く教えです。そんな馬鹿なことがあるか、心がどう変わろうが、事物はすでに存在しているし、同じ物は誰が見ても同じではないかと思われるかも知れません。「一水四見」の教えは次のように説かれます。「たとえば、一水に四見あるがごとし。上界の天人は甘露と見、人間は浄水と見、魚は宮殿楼閣と見、餓鬼は火焔とみるなり。」『万法甚深最頂仏心法要上』「一水四見」とは、人間が水と見るものを、天に住んでいる天人たちは神々の飲み物である甘露と見るし、魚は自分のすみかとして見る。また、餓鬼は立ち上がる波を見て燃え盛る炎と見てしまう。このように、見る側の立場や状況によって、同じものでも違ったものとして見てしまうことから、心を離れて事物は実在しないのだと説くのが「一水四見」の教えです。 人間と他の生物では見方が異なることは何となく分かりますが、この「一水四見」の教えは、魚や天人のための教えではありません。人間のための教えです。人間同士が、すでに「一水四見」なのです。「議論百出」とか「十人十色」などと言うように、あることについて話し合ったとしても、一人一人が違った見方をしているため、色々な意見や考えが出てきて、いつまで経っても話がまとまりません。色々な見方があるということは、一人一人が異なった世界観や社会観・人生観を持っていて、それらを基準にして物事を見たり判断したりするからです。したがって、みんなで同じ物を見ていても、見る人によって見方が異なりますから、結果として、それぞれ違ったものを見ていることになります。だから、心を離れて事物は存在しないと言えるわけです。ということは、心が変われば、同じ物でも、前とは違って見えてくることになります。物事は見ようによって異なるし、受け止め方次第で変わるとも言えます。 たとえば、皆さんは、「死」ということをどのように考えて、「死」をどのように受け止めておられるでしょうか。 @「死ぬこと」は、恐ろしく汚らわしいものだと考えれば、死を忌み嫌って、死から逃れることを考えるでしょう。昔の中国の人は、死から逃れるために、不老不死の薬を求めたり、仙人になる修行をしたという話があります。そして、現代の医学は、望めば延命治療を行ってくれます。現代人は、いつまでも若々しく有りたいと願って、色々な薬を服用したり、若返るための運動を行ったりなど、死から遠ざかろうとしているように見えます。お葬式の弔辞では、「…病に勝てず…」とか「…家族の手厚い看護もむなしく…」などの表現が使われ、こんなことからも、死を忌み、死を敗北と受け止める現代の風潮が感じられます。 A「死ぬこと」を英雄的な行為として考える人もいます。かって日本は、戦時中、神風特攻隊や人間魚雷で若い命を犠牲にしました。その時代、死ぬことは美しいこととして讃美されました。反対の声が、表に出ることはありませんでした。今、イラクでは、自爆テロが頻発しています。イラクでは、おそらく自爆テロで死んでいく人を英雄として讃美する人たちがいるに違いありません。そして、そのことを意気に感じて、自ら進んで死に赴く若者がイラクには居るのです。 B「死ぬこと」は、次の世代にバトンタッチすることだと考える人もいるでしょう。次の時代のことは、後進に道を譲り、自分はさっさと第一線から退くのだという潔い態度です。終戦後、日本を統治したマッカーサー元帥は、軍人としての第一線を退くにあたり、「老兵はただ消え去るのみ」という名言を残して軍服を脱ぎました。統治された日本人が、日本を統治した人物に今でも親しみを感じるのは、マッカーサー元帥の潔さが日本人の心に通じるものがあるのかも知れません。そういう態度で死と向き合ったとき、死は積極的な意味を帯びてきます。 C「死ぬこと」を安らぎと考えるのが仏教です。親鸞聖人は、ご和讃の中で、「三塗苦難ながくとじ 但有自然快楽音 このゆえ安楽となづけたり 無極尊を帰命せよ」と述べられました。死ぬということは、この世の苦悩から解き放たれることであり、心地よい音楽を聞くにも似た世界に出ることである。だから、安楽国土とか安楽世界などとも言うのである。その浄らかな世界の国主でもあり、その国土の法則でもある仏さまに身をゆだねて行くべきであるというのが、このご和讃のお心であります。また、親鸞聖人は、関東の門弟・明法の訃報を受け取ったとき、関東の門弟たちに宛てた手紙の中で、「なにごとよりも、明法の御坊の、往生の本意とげておわしましそうろうこそ、……めでたきことにそうらえ。」と書きました。現代では、人が死んで「めでたい」などと言う人はいませんが、親鸞聖人の時代は、「めでたい」と言えた時代でありました。そして、死ぬことに積極的な意味を見いだし、死を前向きに受け止めた時代でもありました。 誰でも、いずれは死を迎えます。問題は、自分の死をどう受け止めるかということです。 人は、自分と他人を比較します。病気をすると健康な他人を恨めしく思います。また、順調に行かないときは、順調な他人を憎みます。そんなふうに、他人と自分を比べることで、焦ったり・動揺したりして苦しんでいるのが人間ではないでしょうか。親鸞聖人は、「自然」ということばを説明して、「自然というは、…行者の、はじめて、ともかくもはからわざるに、過去・今生・未来の一切のつみを転ず。転ずというは、善とかえなすをいうなり。」『唯信鈔文意』と解説しています。「はからわざる」とは、あれこれ他人と自分を比較しないということです。比較するから苦しみが生まれます。比較しなければ、苦しみは生まれません。はからわなければ、「過去・今生・未来の一切のつみ」からも解放されます。そして、「善とかえなす」とは、はからいを捨てたとき、「安らぎ」の気持ちが沸き上がり、安らぎの日々を生きる人生が開けてくることを意味しています。そうしたとき、ようやく私たちは自分の死を前向きに受け止めることができるようになります。 今、スマップというグループの「世界でたったひとつだけの花」という歌が流行っています。先日の春の全国高校野球甲子園大会の入場曲にも選ばれました。 はからいを捨てて、「自分の命は世界でたったひとつだけのかけがえのない命」であると目覚めたとき、安らかな命を生き切ることができるように思います。 合掌 「祠堂経会」 4月2日(金) お始まり 午後1時30分 説教 矢口千代麿 師(末吉 光念寺住職) 3日間とも2席ずつお願いしました。 4月3日(土) お始まり 午後1時30分 4月4日(日) お始まり 午後1時30分 ※ 4月4日は、帰敬式及び初参会も行います。 4月11日(日)お講 お勤め 午前8時 当番 谷口さん組 おとき 午前9時 お誘い合わせてお参りください。 |
平成15年4月
本堂横のかたくりの花(まだつぼみです)4/1撮影 |
お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、4月8日、インドでお生まれになりました。これにちなんで、お寺では「仏生会」という仏事を4月または5月に行うという習慣がいつの頃からか生まれました。この仏事は、別名「灌仏会」とか「降誕会」などと呼ばれていますが、この仏事は、お釈迦さまの誕生をお祝いするとともに、お釈迦さまのみ教えに生かされて生きることに感謝する行事として営まれています。 当極應寺では、この日に特別な行事は行っていませんが、毎年4月8日前後に勤めている「祠堂経会」の最後の日に、ご門徒のお宅の1歳児の子供さんにお寺にお参りいただいて「初参会」という行事を行っています。 この「初参会」は、お釈迦さまがお生まれになった月にちなみ、ご門徒のお宅の子供さんの誕生を仏さまの前でお祝いし、健やかな成長をお祈りするという内容で行っています。したがって、お参りいただく子供さんにとっては、初めてのお寺参りになるとともに、初めて仏法に出会う意味ある行事となるわけです。 「万葉集」の歌人である山上憶良は、 銀も金も玉もなにせむに優れる宝子にしかめやも と詠みました。 まさに子どもは、次の時代を担う宝であります。人間社会が、心豊かなものとなるためには、次の時代を担う子どもたちを大切にするとともに、宝物として磨いて行かねばなりません。そのためには、宗教的な慈しみの心を持った情操をはぐくむ教育が必要であります。 現代という社会は、その教育を実現できる基盤作りが大人たちに求められています。 合掌! |
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今年は、3人の1歳児の子どもさんにお参りいただきました。子を思う気持ちは、いつの時代でも変わりません。にぎやかな中にも、心のこもったお参りとなりました。 | ||